祇園総社の鐘の声
諸行無常の響きあり
紗羅双樹の花の色
盛者必衰の理を表す
こんな言葉が柄にもなく浮かぶ。
旅人が訪れた時に旅愁……懐かしいものを呼び起こされるのは、この地が日本人のルーツとして遺伝子……心に記憶されているかららしい。
デジタル化が進む現代においても心に記憶というアナログな言葉は廃れる事は無い。
だが今の俺に浮かぶ感情…呼び起こされるものは恐怖と焦りしかない。
というより体の動きを封じられた状態で弓矢で狙われている時に他の感情は浮かばないだろう。
「あ、あの若菜……落ち着こう。まず落ち着こうっ!! というより話し合おうっ!! 人は言葉を意志の疎通に使う生き物だろう!?」
「あら、何を仰るんですか? 私は落ち着いていますし、話し合っているではないですか。首を一度縦に振るだけでいいんです……綾崎太郎になりますよ……ね?」
淑やかさと華を兼ね備えた微笑(ほほえみ)に羽織袴と弓を射る構え……まさに大和撫子という称号に相応しいのは自他共に認められるべきものだろう。
その話し方も慌てている様子もなく、彼女の控えめな性格をよく表した静かな清流のような言葉の紡ぎ方であり、太郎の叫びはまるで出鱈目で、逆に太郎が狂っているかのような気すらしてくるのが不思議である。
だがそれは世間一般では話し合いではなく脅迫と呼ばれるものだった。
それは一通の手紙から始まって
5日目 告白……脅迫とも言う
京都でも有数の名家である綾崎家。
もちろん家……屋敷もそれに見合った広大なものであり、広い日本庭園に弓道場、茶室など普通の家にはないようなものも建てられている。
侘び寂び―――陽だけでなく陰に美を求めるという観点からか、煌びやかなものはないのだがそれを貧相に見せずに、むしろ落ち着いた佇まいからくる安堵感のようなものがあるのが京都……いや、綾崎邸なのだろう。
今の俺には安堵感なんてものはカケラも埃もないのだが。
安堵感の変わりにデジャヴに似た恐怖が少年時代の記憶から蘇ってくる事がわかる。
なぜかセピア色の映像のはずなのに記憶的には鮮明にカラーで覚えているのが新たな恐怖を誘うのだけれど。
ああ……そうだった……小6の時、別れを告げるためにここに来た時もいきなり荒縄で縛られて監禁されそうになったんだったっけ……(注、実際監禁されています。)
あの時はあまりに遅くて心配した親父が、綾崎家に迎えに来てくれたから3時間ほど縛られただけですんだけど・・・あれから暗闇と縄が俺のトラウマになったんだ。
もしあの時家族に行き先を告げずに若菜に会いに来ていたら………想像したくない!!
あ……そういえば今日俺、京都に行く事を家族の誰にも言っていない……
そもそもこの状況はどういうことなのか……説明せねばなるまい。
例によっていつものトラックの運転手に再会して彼の力を借り(ヒッチハイク)て京都まできた太郎。
降り際に―――
「兄ちゃん、気をつけろ・・・・鴉が、空に集まっている。身辺に気をつけろよ?」
―――という有り難い暗示をいただきながらも綾崎屋敷にたどり着いたのだが。
何しろ京都でも有数の広さを誇る綾崎邸である。
広大な日本庭園をさ迷っているうちに、導かれるように周囲を白い布で覆われた場所にたどり着いた。
その布をまくって中に入った時に、何か速い物が顔の目の前を通り過ぎた。
ヒュンッ!!!ドスッ!!
瞬間、振り返ると背後の壁は的のように色付けされていて、その的の中心に一本の矢が刺さっているを確認した・・・刹那。
ヒュンッ!!!ドスッ!!
ヒュンッ!!!ドスッ!!
ヒュンッ!!!ドスッ!!
振り向く間も無く三度、同じ音がして上半身……着ているトレーナーの縁(ふち)を壁に縫い付けられた。
人間的(にんげんまと)と言うべき形に縫い付けられたそれは一歩間違えば怪我では済まない危険行為……危険を通り越してる気がしないでもないが。
悲鳴を上げる前に、
「ようこそ……綾崎邸へ。歓迎します……太郎さん」
もてなしの言葉を受けた。
それで冒頭のシーンになるわけなのだが、実を言うとこの時は若菜は驚きを感じていた。
弓道は幼い頃からの習い事ではなく高校生になってから許されたものであり、その弓の才能を開花させたのは弓道の師の言葉『迷いをなくしなさい』というもの。
その教えから……
「はい……私は迷わずに太郎さんを手に入れて見せます」
……となるのは自明の理、当たり前である。
それを実現……いや、実行するかのように普段の練習時に矢の的を太郎に―――太郎の心臓に見立てる始末。
古来より恋愛の天使(キューピット)の持っている矢に心を射貫かれると恋に落ちるという御伽噺が存在したりはするのだが、実際に矢を撃たれたら恋に落ちるどころの騒ぎではない……というより死ぬ。
それを理解していないわけではないだろうが、『恋は盲目』という言葉もあるのだ。
盲目という言葉でそれを片付けていいものかどうかは全くの別問題になるのであるが。
ただ黙々と『心を手に入れるために』練習を続けていた若菜。
その、ひょんな時に動く的(実物の太郎)が現れたのである。
ここで「なぜここに太郎さんが?」という疑問が浮かぶようなら正常なのゲフンゲフン……いや、綾崎家の後継ぎとして一族から認められていない。
あの幼き日に開花し始めた綾崎家を統べる者としての才覚は伊達ではないのである。
あの暗闇の蔵の中で覚醒した古の血の力は。
もちろん……
『好機っ!!一発必中・・・いえ、百発百中っ!!!』
………となる。
まあ、必中で当てられたら死ぬのだが。
脅威の集中力で綾崎家に伝わる秘技……三連射を成功させたのである。
そして遠回しの告白……いや、ストレートの求婚へと至る。
その告白は命の危険という強制力を伴い拒否権はほとんど・・・いや、全然ないものだったのだが、まるで御伽噺にあるキューピットの矢の効果のように確実性は抜群だった。
若菜が「ああ……これが迷いを無くすということなんですね?先生……」とうっとりとした目で呟いているのも、その確実性に一役買っていた。
繰り返すが、その確実性という効果は世間一般では『脅迫』と形容されるものである。
そして冒頭の若菜の言葉になる。
「わ……若菜、その前に訊きたい事があるんだけど……」
なんで手紙の差出人を探してるだけで命の危険を感じなきゃならないんだっ!?
なんか何のために探してるのかわからなくなってきた……
潜在スキル『現実逃避』と『開き直り』が発動し始めている。
「あら?心配しなくても子供の名前なら太郎さんが決めても・・・・・」
ピコ〜ン!!(何かの技を閃く音)
「若菜って東京に来た事ってあるっけ? ……というより家の住所と電話番号知ってる?」
そんな心配なんぞしとらんわ!!と……いや、心配は違う意味―――あらゆる意味でしているのだが、そんな突込みをしようものなら『恋に落ちる効果をもった矢』で心臓を射抜かれて永遠に自分が若菜のものになってしまう。
潜在スキル『やけっぱち』を開花・発動させて聞いていない振りをして問い掛けてみる。
「そんな事……綾崎家にかかればゴホン!!いえ、存知ませんが……」
ちょっと待て!!なんだ今の『綾崎家にかかれば』っていうのはっ!?
二人目でいきなりビンゴか!?
俺の命はリーチがかかっているんだが。
こいつは黒……いや、限りなく黒に近い黒……
「さあ……質問には答えました。今度はあなたが……私に答えてください。」
応える?堪える?答える?
そんな選択肢が俺の中に浮かんできたんだが……
とりあえずこの10秒後、天の助けというべき綾崎老が乱入し有耶無耶の内に追い出されたのだが、自宅に着いてズボンのポケットを調べた時に『何故か』中に若菜の連絡先が書いてある紙が入っていたのが気になった・・・怖かった。
ちなみにそれから3ヶ月ほど経ち、若菜から『相談にのってほしいことがあるので来て下さい』という京都までの新幹線のキップ付きの手紙を受けて京都に再度赴いた時に・・・・・・・・
・・・・・・・・・一枚の役所に提出する書類に印鑑を押すことになったとだけ言っておこう。
チャチャチャチャ〜チャ〜ラ〜チャッチャラ〜 (何かのファンファーレ)
太郎は鎖を増やした!!
若菜の連絡先を手に入れた!!
『開き直り』のランクがアップして『やけっぱち』になった!!
修羅場に近づいた!!