少女は聡明だった・・・・縛られた身なれども
与えられる物しか得ることが適わぬ身なれども
色は紫、身の元は京都
姓は綾崎、名は若菜
淑やかなれど艶があり
それは1通の手紙から始まって
4日目 暗闇の中の別れ?
【小学校6年・9月・京都・綾崎邸】
「あ、あの若菜? 僕、そろそろ帰りたいんだけど……」
暗闇の中の、その少年の言葉は若干怯えを含んだモノに変わってきていた。
変わってきていた……その前はとても勇敢なものだったのである。
身動きが取れない―――縛られている状況で助けがこないかもしれない…まあ怯えを含むのもしょうがないだろう。
「御安心を…綾崎家があなたを守りますから……」
そのどこかずれた某青髪少女のような答えを返す少女の瞳には、『本気』『正気』というものがこれでもかというくらいに張り付いていて……つまり少女の言葉が冗談でもなければ狂っているわけでもないという少女の精神状態を表していた。
ただ冷静に現状を認識した上での言葉は、3割ほど妄想が含まれてはいたのだが。
暗闇の中でのこの会話……少年が怯え、少女が慰めるという配役があべこべのような気がしないわけではないが、現在の状況を鑑みてみれば納得のいくものなのかもしれない。
――――ここまでか……
荒縄のような物で縛られている少年…太郎。
少年は今、新たなる潜在スキル『諦念』を習得しようとしていた。
目の前の少女…綾崎 若菜(あやさき わかな)と太郎の出会いは約5ヶ月ほど前になるのだろうか。
5ヶ月前…つまり小学校6年生に成り立ての時に二人は出会った。
出合ったといってもそれほど大袈裟なものではなく、(例によって)太郎が転校してきた小学校の同じクラスに若菜がいた…ただそれだけの事だったのだが。
綾崎若菜・・・流れるような艶やかな黒髪に控えめでおしとやか、穏やかで落ち着いた性格は典型的な『大和撫子』と称しても差し支えのないものであり、家柄もそれに乗じて京都では有数の名家として知られている。
それらしく幼少の頃より華、舞、茶、様々な習い事と厳格な祖父から教育を受けていた若菜にとって太郎の存在は新鮮なものだった。
周囲の以前からの付き合いのあるクラスメート達は若菜とは一線引いた付き合いをする。
放課後に高級車で迎えが来る、家が京都で有数の名家、若菜の立ち振る舞い…細かい事を数え上げればきりがないのだが、小学生になり5年も経つとそれらが人付き合いの壁になることは無理もないこと。
そんな若菜が出会ったのが転校をしてきた太郎であった。
自分の事を知らない転校生だから当たり前なのかもしれない……けれど自分を普通の同級生として扱い、付き合ってくれる太郎との毎日は新鮮で楽しいものだった。
少年……太郎も似たような理由だった。
当たり前である。
転校先で様々な『窮地』に陥り、計ったようなタイミングで救われて(転校して)きた少年にとって家柄なんてものは些細な事。
マトモであれば問題なし!!とばかりに…いや、初めてマトモな少女にあったとばかりに積極的に付き合ったのである。
もっとも、これまで少年が出会ってきた異性が活動的、己を振り回すようなタイプばかりだったため、若菜のような控えめでおしとやかなタイプの少女は新鮮で非常にありがたいものだったということなのだが。
マトモかどうかのスイッチを切り替えているのは己自身だと言う事に気付かずに。
いつも通りに放課後には校門まで若菜と一緒に向かい、校門から若菜は迎えの車に乗り、少年は徒歩で帰るという別れ方をするはずだったのに少年が何を血迷ったのか…
「若菜!!行こうっ!!僕はもっと若菜と一緒にいたいんだ!!」
と若菜の手を握って走り出す始末。
若菜の車の運転手(中村さん)も驚きである。
これはその日の朝に太郎が父親から「今晩引っ越すから。」といきなり言われて他のクラスメートには秘密になっていたのだが、若菜にだけは言っておきたくて二人だけで話せる場所に行こうという意味で言ったのだが……
――――――カチリ(スイッチが切り替わる音)。
「はい!! 若菜は……どこまでもついて逝きます!! ごめんなさい…お爺様!! 若菜は悪い子です…」
中村さんが幾度も頷き見てみぬふり。
何かが切り替わる音に気がつかずに若菜と遊び回る少年。
楽しい時は過ぎ、別れの時。
結局引越しの事は言い出せずに若菜を綾崎邸まで送り帰ろうとした時に綾崎老(若菜の祖父)が出現し、お仕置きとばかりに若菜を蔵に閉じ込めてしまったのである。
その場は追い出された少年ではあるが、それぐらいで引き下がってはこれまで生きていない・・・・いや、ここから先に生きていけない。
一度家に帰り若菜のためにおにぎりを持参して、最後の別れを告げるために蔵に侵入したのである。
さて、一度追い出された少年が再び侵入するまでの間……つまり若菜が閉じ込められている時、若菜は暗闇の恐怖と孤独からくる寂しさから泣いて震えて……はいなかった。
『太郎さんを手に入れるためには綾崎家の力をどのように使えばいいのでしょうか…』
綾崎家の後継ぎとしての秘められし才覚が覚醒しようとしていた。
おそらくそのスイッチは昼間に太郎に入れられたのだろうが。
柱に縛り付けられている痛々しげな格好ながらも、その瞳の力は失われていなかった。
京都随一とされる綾崎家―――古くから伝わる血脈の力が目覚めようとしていた。
ちなみにさっきまでは昼間の少年と遊んだ記憶……その他5ヶ月間の思い出をビデオを再生するように思い出したり脚色したりとやりたい放題だったのだが。
屋上で○○してたり図書室で○○するシチュエーションだったりやりたい放題。
彼女は聡明だった。
自分の家柄の力、自分の置かれている立場を理解するぐらいには。
『もっと一緒にいたいだなんて…あれは世間でいうところのプロポーズ…結婚すればずっと一緒にいられるのですね……私は一人娘ですから婿を取らなくてはなりませんし…けれど山田若菜として生きていくのも悪くはないですね…』
聡明だった。
思考の中で今日の日から婚約、出産、結婚生活を26通りぐらいシミュレート中だった若菜は人の気配を感じ顔を上げた。
ガタガタッ!!ドサっ!!
「や、やあ若菜……大丈夫だったかい?ごめん僕が無理やり連れ出したせいでって!?何をするんだ!?若菜!?」
『この機を逃してはなりませんッ!!』
若菜の落ち着いた穏やかな雰囲気が変わる。
凛とした強さと決意と意志を秘めた戦いの雰囲気に。
シュルルル………ギュギュ!!!
瞬時に自分の身を縛っていた縄を解き、それで少年を縛る。
「綾崎流捕縛術!!逃げられませんよ?そして逃がしません、太郎さん……」
うっとりとした感じで口にする言葉は艶を含んでいて、まるでその筋に人かと見間違うほど。
「あ、あの若菜?これは一体……」
「ふふ・・・やはり欲しい物は自分の手で手に入れるべきですね……お爺様」
言葉は届かない……いや、聞いていなかった。
そして冒頭の状況に戻る。
「あの…若菜? 一応僕明日引っ越すから…その挨拶に来たんだけれど。と、いうよりこれほどいてくれない?」
縛られて別れを告げる少年…シマラナイだろう。
力を入れれば入れるほど縄が締まっていく…そんな巧みな縛り方をなぜ目の前の同年代の少女が知っているのだろう?
そんな疑問が浮かばないわけではなかったが、力づくで押さえつける…なぜか聞いてはいけない、聞くと更に状況が悪くなる気がした。
今は早く用件を終えて、この場を立ち去る以外に現状を変える事は期待できない。
「『若菜は我慢しすぎだよ』と言ってくれたあなたの言葉が・・・今ならわかる気がします。欲しいものを手に入れた時の充実感というのは、これほどにいいものだったのですね。欲しいものを手に入れるって大事な事なんですね!!」
僕は何を言ってしまったんだろう…
太郎は潜在スキル『後悔』のランクがあがった。