「ルシオラ!?」

檻の中に捕らえられた……佇んでいる『ソレ』が彼女ではない、偽者であることは己の理性と経験が認識し、警鐘を鳴らしていた。

だがあの日のままの、あの時のままの姿で己の名前を口にする『ソレ』に対して心が揺れることは止めることができなかった。




隠者 第8話  『決壊』





 
 横島は怒っていた。
 何に対して?誰に対して?
 オークション、研究施設、弄られた妖魔と霊獣……何も出来ない自分。



 勧善懲悪で自分がこれまで綺麗な……清廉な生き方をしてきたとは思っていない。

 裏切りと策謀の中に己の命を賭けたこともある。

『大の虫を生かす為に小の虫を殺す』あるいはその逆……そんな決断の中で除霊を敢行したこともある――――生き残る為に。

 それを『成長』とするのなら、それを『大人になった』というのならば肯定だろう。
 けれど、その過程で何かを失くしたとは思っていない。
 緩やかで、穏やかな日常の中で『変わっていくモノ』と『変わらないモノ』……それを自分で選んでいく、それらが周囲に合わせて選ばれていくということが成長と呼べるのだから。



『自分を識る』という簡単なようでいてとても難しい事。
 何が出来て何が出来ないのか……それを自分で認識するだけで全てが変わった気がする。
 自分の中で甘さがなくなった。


……そのことを新作の某大作RPGに没頭しているハヌマンに画面を観ながら告げられた時は眉唾ものだったのだが。


【妙神山・加速空間内】


「説明書を読まずに……ゲームのシステムや存在する武器、防具、アイテムや呪文の効果や属性が解らないままではゲームを進めることおろか始める事すら出来んじゃろ? ましてや自分のレベル……自分のステータスが不明でお前はどんな戦いをするつもりなんじゃ」


 その呆れを含ませた言葉に唸り、頷きながらも「ゲームと実際の戦いは違うだろ」と言葉を返す。


「同じじゃよ。それぞれのキャラクターに得手と不得手があり各人の能力も違う。数値的なステータスで優る相手に装備とアイテムでその差を埋めて立ち向かう。呪文を使えば何かを消費し武器を使えば消耗していく。
 全く、よく出来たもん(システム)じゃわい……」


 そのあっさりとした言い方に言葉をなくし『もっとも……実際にはこう単純にはいかんがのう』というハヌマンの呟きも耳には入らなかったのだが。


「【人】という枠内で、それ以外のモノへの差を埋める方法は自分を識り、それを補うための道具、そして……知恵と経験じゃよ」


 武神と謳われた者のあまりの言葉に自失していた自分を引き上げたのは同じ者からの言葉。
 相変わらずゲームの画面に没頭中でこちらには顔を向けることすらしていないのだが。




「と、いうわけで……行(逝)ってこい」




シュゥゥゥゥゥゥゥゥ………




その言葉を聞き返す間も無く周囲が暗闇に包まれる。



………シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥン



闇が晴れて回復した視界にいたのは―――――


ギュォォォォォォン!!!  グルルルルルル……  フォォォォォォォ……

キキィィィィィ……  グォォォォォォン…… ゴォォォォ……


―――――――見渡す限り砂地と見渡す限りの妖魔であった。


「俺を殺す気か!? ふざけるんじゃねぇぇぇぇ!!! マジで死んじまうどぉぉぉ!! サル!! おい!!」


 思いつく限りの罵詈雑言と命乞いをしたところで一方通行のハヌマンからの思念……

『そいつらは今のお前より能力的に強く仮想してある……戦いの中で自分を知っていけ。そして己の全てを使いこなしてその差を埋めて生き残ってみせるんじゃ。それが終わる頃には自ずと戦いの経験も身についてるじゃろ。一石二鳥じゃな』


「出来るかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」と逃げ回りながらも生き残ったのもいい思い出だろう。







 けれど一つ胸をはれること……真っ直ぐに生きてきた。
 それは痛みを伴うもの、悲しみを伴うもの……背負って歩んできた。

 目を逸らさずに受け止めた。
 躊躇わずに駆け抜けた。


 同類なのかもしれない……そんな思考が浮かび上がるのを無理やりにねじ伏せる。
 それを怒りに変えることで……





「動くんじゃねえよ……」

 その声は静かな怒りを含んで発せられた。
 そして、それは北村だけではないオークションの参加者の動きを止めた。

 殺意、殺気といったものはその言葉には込められていなかった。
 否、それらを上から濃く塗りつぶす『怒り』というものがあった。

 曖昧なモノ、境界線を色濃くすることで鮮明にし区別する……それは鎖といえるのかもしれない。
 どす黒い感情を縛り付けるための。


 横島はゆっくりとした動作でジャケットの胸元から発光筒を取り出し、空に向けて折った。


 パキッ……シュォォォォォン!!!!


 筒の先から20センチ程の発光体―――光球が出現し部屋を眩いものに変える。
 そして僅かな音の余韻を残しながら煉瓦造りの天井をすり抜け空に上がっていき、再び部屋が薄暗いものに戻る。


「迎えが来るまでな」

 Gメンの部隊……西条と美智恵、令子がこの部屋にたどり着くのに10分掛かるかどうかだろう。
 いや、上空で散々焦らされているから強行突破で5分か。

 効率というものを最大限に重視する今回の依頼主、いけ好かないが信頼できる似非好青年、最近妙に優しく厳しい雇用主を思い浮かべて計算してみる。
 突入部隊も『人間相手』の精鋭を選りすぐっているはず……



「グハッ!? 貴様……横島忠夫、文珠の……」



 思考に沈み始めた横島を引き上げたのは北村の痛みからか、しわがれた声。
 その目に狂気が混じり始めていることよりも、手加減したとはいえ生身で自分の拳を受けて未だ意識があるということに驚く。
 そして自分の顔を知っているということにも……けれど。


「しゃべるな。手前らはもう終わりだ」


 それを出さずに会話を打ち切る。
 それとは逆に理解……予想、北村はともかくオークションの参加者は、おそらくお咎めなしになるだろうという認識になるのも否定できなかったのだが。

 参加者の顔の詳細はこの場所からは視認出来ないが、美智恵からの情報だと莫大の富と権力を持っていることがオークションへの参加の条件とのこと。
 参加者を捕らえても彼らは膨大な保釈金を国に払って終わり……と聞いている。
 今回の目的はあくまで北村 修一であり、今の自分の仕事は北村をGメンに引き渡すこと。

 あえて思考を理論立て、順序だてて展開していき冷静さを維持することが今の自分には必要なことだという結論に至る。


「ふふ……終わりか。貴様は……なぜ私を否定する? オークションか? 下の研究施設か? それとも番犬どものことか?」

 狂気を強めた瞳……自嘲とも違う笑い、どこか楽しげな問いかけは北村の余裕を失わせてはいなかった。
 そして的確に横島の葛藤を突いてきた。

「黙れよ……」

 拳を握り締める、白くなるほどに。
 狡猾に遊ばれている。

「その全ての集大成が『北村印』のアイテムだ! ネット! ロープ! トラップ! 受け入れられてるだろう? 広く!! 大量に!! 大勢に!!」

 狂気、狂喜に染まった叫びは事実。

 正規のGS……霊能者とて使役する使い魔に自然界の精霊や霊獣、妖魔を扱う者が多数存在する事は事実。
 大勢のGSが……いや、GSだけではなくGメン、教会などの祓いを生業とするものたちが北村の開発、作成したアイテムを使用し依頼をこなしているのは事実。

 美智恵からの依頼が『霊獣や妖魔を弄ぶ罪』ではなく『剥ぎ取られたモノの土地への影響の危険性』からということは事実。




「後の檻の暗幕を取ってみるがいい……貴様も私を受け入バキャ―――――――――――!?!?!?」


ドガギッ!……ドサッ!!!


「黙れと言ったろうがっ!!」

 本気で殴った。
 これ以上、北村が口を開く前に。


ふぅ……

(熱くなりすぎだ……昂ぶるな……沈むな)

 一つ静かに息を吐き……念じる。

 霊圧へ耐性の弱いオークション参加者は横島が発していた霊圧で気を失っていた。
 横島の殺意を色濃く塗りつぶす程の怒りの混じった霊圧は常人なら……いや、霊能者とて威圧するだけではすまない程の格をもっていた。

 それは纏う雰囲気も同じ事……色濃く、黒く。

 冷静になり視界が広くなってくると黒い布で覆われた四角い物―――檻が目に入ってくる。

 北村が檻の事を何か言っていた気がしたが、無害の霊獣ならば解放してやったほうがいいだろう……例えそれが短い命だろうと。

『開』と刻まれた文珠をホルダーから取り出し黒い布を取り去る。


バッ!!





サトリは姿を変える……敏感に思念を読み取り、詳細に思念を容創り


サトリは姿を変える……眼前の者の心に強く残る、大切なモノの姿へ


それは己が生きていくための能力と知恵


相手を傷つけることのない、ただ身を守り生き延びる為の優しい能力


眼前の者の願い通り、思い通りに


サトリは姿を変える





「……ヨコシマ……助けて……」

 黒い布を払った先には白と黒を基調とした服を着た蛍の化身。
 儚げな、想像通りの『もしもあの時助けを求めていたなら』の声。

「ルシオラ!?」

 檻の中に捕らえられた……佇んでいる『ソレ』が彼女ではない、偽者であることは己の理性と経験が認識し警鐘を鳴らしていた。

 だがあの日のままの、あの時のままの姿で己の名前を口にする『ソレ』に対して心が揺れることは止めることができなかった。



 同じなのは姿形だけではない。
 視線、声、瞳、仕草―――彼女を容創る全てがあの日のまま。

 否、記憶に残っている自分にとって想像通りの都合のいい姿。
 本物を踏みにじる、卑しい想像。


「ヨコシマ……」

―――――敵でもいい……また、一緒に夕日を見て……

 悲しすぎるから……それが助けた理由だった。



「ヨコシマ……」

―――――もう!!嫌なわけないでしょ?

 自分勝手な欲望を、笑顔で受け止めてくれた。



「ヨコシマ……」

―――――ありがとう……サヨナラ

 ただ消えていく感触だけが、喪失感だけが残っていた。


 忘れていない記憶、しまいこんでいたものが甦り、引き出されていく。
 あの時の戦う理由、強さを求めた意志、己の選択。


「助けて……」

――――約束したでしょ?アシュ様を倒すって……

 まだ何も果たしてはいない。 





「今、助ける!!」

 迷わない、離さない、今度こそ。

 罠、偽者、人形、過去、現在、事実、理由……そんな言葉―――単語が思考をかすめる、けれど……あの日、手の中をすり抜けていった……否、手放したモノが眼前に、手を伸ばした先にあるのなら。


カチャリ……ギィィィィ

【開】と刻まれた文珠を檻に投げつけ力一杯に檻の扉を引っ張る。


「ルシオラッッ!!!」




「ヨコシマ……」


再びその手を掴む時が――――


ピッ……シュォォォォォォォォォン……カラン……

「ヨコシ……」


―――――粒子が散っていくように彼女が消えていく。乾いた音を残して。


……カツン


 乾いた音を残した物が地面を転がり自分の靴に当って止まる。
 それは乾電池のようなもので赤く点滅を繰り返していた。

「ルシオラ!? ルシオラァァ!! ちッ、どうなってやがる!!」

 けれどそんな事はどうでもよくて今は『ルシオラが消えた』こと。



「グホォ……殺したのは、貴様だ……横島忠夫。サトリは……その檻の中でしか生きられん……私が埋め込んだ機械によってな」

 何時の間に意識を取り戻したのか楽しげに、嬉しげに、痛みから息も絶え絶えに口にする言葉は断片的なものでしかないのだが、横島にとっては十分に意味が通る言葉であり。

「てめえ……」

 簡単な事、サトリは檻中の観賞用の商品であって檻の中でのみ生きていければいい。
 それが北村の考えで。

「貴様がサトリを連れ出そうとしたから……死んだんだ」


「…………」

 悲しみ、驚き、憎しみ、怒り……先ほど散々に揺さぶられたモノが塗りつぶされていく、白く、純粋に。


「あの女が貴様の想い人か……くっくっくっ、貴様も私を受け入れたな……同様に」


「…………」

 何かが壊れようとしていた。
 それは理性とよばれるもの。

 己が思うが侭に力を奮う――――思うが侭に。
 破壊衝動―――それを満たす為の手段は己の手の中にあり、その標的は目の前に存在していて。

 純粋な殺意は白く、静かに、穏やかに心の理性という境界線を越えた。




『 爆 』



 爆発音が響いた。


【屋敷・扉前】


ドガァァァァン!!!

ズゴゴゴゴ……


「なんだっ!? 屋敷が爆発……崩れるぞ!? 全員ここから離れるんだっ!! 急げっ!!」

 横島からの合図を受け、ヘリから扉の前に直接リぺリングした西条は率いている部隊に突入という指示を送るところであった。

(横島君……一体何が!?)


 何かに引火したのか、連鎖的に爆発を繰り返し崩れていく建物を西条は外から眺めることしかできていなかった。

ピ――――――

【西条君っ!! 無事ね!?】

 西条を引き戻したのは無線の音と上司のやや慌てた声。

「先生!! 一体何が!? 上空からは……」

【上からも分からないわ……作戦は中止よ。5分待って横島君が戻らなかったらあなたは部隊と一緒に帰還して】

「そんな!? 先生、横島君を置いていくわけにはっ!!」

【そこの森は妖魔のテリトリー。番犬の巣窟よ。あなただけならともかく、あなたの部下はそうもいかないでしょう?】

 屋内用の装備、暗闇、森、建物制圧専門のメンバー

「くっ!! わかりました……5分、待ちます」

―――――ピッ

「全周囲警戒……陣形を組んで対応だ。5分……この場で警戒態勢で待機!! その後帰還する」

 滾る感情を抑えて冷静に指示を送る。

(戻るんだ……横島君)

 冷静に。



【同刻・ヘリ内】

【くっ!! わかりました……5分、待ちます】

―――――ピッ

「ママ……」

 激昂しそうだった西条を諌めたら、今度は弱気な令子。

「大丈夫よ。彼を信じて待ちましょう。彼は……強いから」

「そうね……横島君」


 娘に言葉をかけつつ美智恵の頭脳は現状を分析、思考していた。

 あの爆発は北村の悪あがき?けれど横島君からの合図はあった。
 おそらく北村を捕らえていたはず……罠に掛かった?違う……彼のあの時の文珠なら罠は関係ない。

 『商品』として扱われていた妖魔の類に攻撃を受けた?いや、彼の強さならやられるということは考えられない。

 文珠を奪われて……これも違う。
 おそらく文珠というアイテムがなくなっても彼自身の強さは変わらないはず。

 そこまで考えて……やめた。

 推測と憶測のみで思考を進めて判断するのは危険なこと。
 その思考を狭めて一方的なものにしてしまう可能性があり柔軟性をなくす。


―――――情報を待ちましょう

 そこに行き着いた。

 顔色を蒼白なものに変えつつある娘の顔を一瞥し、視線を森に移す。
 爆発を繰り返し炎を闇空に舞い上げるその様は、生き物のように。
 ヘリの音も地上の爆発音も全て舞い上がるように。




【二日後】

 美智恵の下に秘密裏に報告された事は――――

《現場の瓦礫の下から4つの遺体……北村修一、オークション前に確認された参加者3名の計4名の遺体を発見》

―――――ということであり横島忠夫に関することは何も触れられていなかった。





 動き始める


 隠者はその知ゆえに闇を知り、照らすための灯りを握り


 動き始める


 愚者はその好奇心から先を知るための杖を携え


 ここから動き始める

 

 

2章 1話

7話