――――よく気がつく部下を持つのも考えものね……

 と再び一人の部屋でため息を吐きながらも、その部下の厚意に甘える為、椅子に少し深く腰掛けて瞳を閉じた。

 再び目を開いた時に全ての問題が解決していればいいのにと、ありもしない事を考えながら。




  

隠者  第2章  1話 試験




 ふぅ……

 あれから2ヶ月音沙汰無し……か。

 美智恵はキーボードを叩く手を休め、壁掛け時計に目をやった。
 時間は午後の1時を過ぎた所……5時間以上パソコンに向かっていたことになる。
 昼食はもちろんのこと、休憩すらとらずに仕事をしていた代償は肩こりと目の疲れ。

 若い頃は半日以上フルに仕事をしてもどうということはなかった……体は正直ね、と顔を歪め一つ伸びをし、朝から手付かずの冷め切ったコーヒーを口にする。

 香りも何も無い、ただ苦いだけの味気ないコーヒーすらも息抜きには上等なものだった。


 あの事件での被害者……犠牲者は4名。
 瓦礫の下敷きになって死んだということならばここまで大事にはなっていない。
 4体の遺体の霊的な検死と霊視を行った結果4体の遺体から霊的な爆発による残滓が発見され、それが直接的な死因となる』という事が判明した。

『霊的な爆発』……おそらくあの場所にいたのは5名。
 その内の3名は霊能は素人、原因として外していいだろう。
 もう一人はGSとはいえ引退した人間、これも能力的に可能性としては弱い。
 残るは横島忠夫……『文珠』の使い手として今回の任務に選んだ人物。

 あの場で何が起こったのか? それを知ることは出来ない。
 極秘で動く必要性があったためGメン所属の千里眼の能力者で視ることも記録することもできなかった。

 その不明な過程、不解の状況からの結果は『霊的な爆発で殺害された4つの遺体』というもの。
 結果を起こしうる手段を持ってその場に存在しその後に姿を消す……この事実が横島忠夫という人物を『霊能を手段とする殺人者』として極秘に指名手配することになった。

 もちろん彼が生きていればであるが。

 もし彼が生きていればこちらに何かしらのコンタクトを取ってくるはずなのだが……それとも完全に行方を眩ませる気なのか。

 令子の他、美神除霊事務所のメンバー、その他の公にはこの事は告げていない。
 ただGメンから依頼の除霊中に行方不明になったとだけ、おそらく令子は何かしら感づくものはあるだろうが。

 月からの大気圏突入を生身で敢行し無事だったという人間である。
 生死の心配はしていないとはいえ事務所のムードメーカー……そしてエース不在という状況は様々な影響を娘の事務所に及ぼした。

 一月に依頼をこなせる件数、かかる経費、依頼の危険度……一時は事務所の運営にすら関ってくる程の影響だったのだが、二ヶ月を過ぎるとそれに各人がその環境に対応――順応してきた。
 
 それぞれの個人の感情は窺い知ることは出来ないのだが。

 個人の事務所規模ではなくオカルト業界という規模になると、さらにその影響は大きくなる。
 GSとしてのランクはB級とはいえ、その実力と功績はS級に近いものがある。
 そしてその人脈――『魔装術の伊達』の伊達雪之丞、『聖連なる吸血鬼』のピエトロ・ド・ブラドー『深緑の幻虎』のタイガー寅吉などの若手実力派GSの中心でもあり、何度かGメンの依頼もこなしていたせいかGメン内部にも彼を慕う若い職員は多い。

 目に見える戦力的な損失と見えざる縁とムードという人情的なもの、その両面で横島忠夫の不在という状況はマイナスにしか働かなかった。
 尤も、伊達やタイガーなどの横島忠夫を良く知るもの達は彼の無事を疑ってもいないのだが。

 それもやはり2ヶ月を過ぎると周囲も順応していく。
 彼のことを忘れていくということではなく、彼がいないという認識を各人が自分自身に植え付けていくのだ。
 それがいい事か悪い事なのかは個人の感性によるものだが。



 少しづつ、少しづつ、横島忠夫という色が薄れ始めていった。




 
 外から扉をノックする音に気づき思考を中断させた。




「先生、そろそろ時間です。会場へ……」

 ノックとともに入ってきたのは、自分の教え子でもあり部下でもある西条。
 みると彼の服装が朝と違って余所行きのスーツに変わっている。

 会場とはGS試験の会場の都内の体育館の事であり、時間とはベスト4からの試合……準決勝の開始時間の事。
 今回のGS試験における実技試験の準決勝からの実況解説と試験終了後の講評を依頼されているのである。
 尤も自分だけではなく日本GS協会会長の肩書きを持つ唐巣神父も――こちらは試験開始から審査員としてだが――会場に行っているはず。

「わかってるわ。すぐに準備するから下に車を回しておいて。」

 昼食と休憩は取れそうにない……その事実にさらに心情の疲労の色を濃くして答える。
 それを部下に隠しとおせるポーカーフェイスこそが美神美智恵たる所以なのだが。

「わかりました。では20分後に」

 そう短く指示を受け部屋を出て行く西条。

 西条という男は美智恵の隠した心情の疲労を察する程の洞察力はまだ持ち合わせていないのだが、己の経験と体験からか女性の肌の色艶でその女性の体調を察する術に長けた男であった。
 現に一目で上司の顔色と肌の色を確認しそれを化粧で隠す時間と少しでも休憩時間を取れるように20分という時間を自ら上司に与えるように指定し退室するところにそれが表れている。
 おそらくその休憩分の移動時間を短縮する為に、会場までの渋滞を避けられる裏道や近道を調べてから車を回す気だろう。



――――よく気がつく部下を持つのも考えものね……


 と再び一人の部屋でため息を吐きながらも、その部下の厚意に甘える為、椅子に少し深く腰掛けて瞳を閉じた。

 再び目を開いた時に全ての問題が解決していればいいのにと、ありもしない事を考えながら。




【30分後・車内】

 予定通り20分後に出発した車は渋滞する大通りを避け住宅街の少し狭い道を進んでいる。
 地図すら観ずに見知らぬ裏道を走らせていくドライバーの西条。
 道を調べた際に道順を記憶したのか、迷う素振りすら見せずに軽快に車を走らせていく。

「それで今年は有望株はいるのかしら?」

 先程とは違いやや、凛としたものを纏わせて美智恵は西条に尋ねた。
 後部座席に座している美智恵の服装はGメンの制服で、もう日本支部局長の顔を取り戻している……美神としての顔を。

「とりあえず先生の横のファイルにベスト16……資格取得者の名簿とプロフィールの書類を挿んでおきました。誰が有望株かどうかは僕は試験をみていないので会場で唐巣神父に訊いたほうが確実でしょう」

「そうね……そういえばオキヌちゃんも受けてるんだったわね。」

 自分の質問を予測して予め書類を用意しておく辺りの教え子の有能さを感心しつつ、ファイルの名簿に目を通していき見知った名前を見つける。

「ええ……彼女は特別枠の推薦ですが。あと同じクラスの弓かおりも受けていたかと。」


 GS試験の合格者は主に二つに分けられる。
 一つは単純に2次試験の実技試験にベスト16まで勝ち上がった者。

 もう一つは戦闘に向かない者の特別枠の推薦で、これはGS協会の上層部の審査できまる。
 最大4名の枠があるが、対象者がいない限りは使われる事はない。
 これは最近つくられたものなのだが、これを通す為に六道家と美神家が動いたとかいう噂がある。

 合計で毎回受験者数が500名を超え、その中で最大20名の人間が合格するという狭き門なのがGS試験である。

 その合格者の中から有望な者をGメンでスカウト……とまではいかなくともコンタクトをとっておきたい。

 合格者でなくてもいい、2次試験まで残っている人間でも十分といえる。
 良く言えば芽のある者を育てる為に、悪く言うならば青田買いである。
 もっともそういう者は合格してもしなくても自分が所属する除霊事務所、又は師事している霊能者が手放す事は少なく徒労に終わる事が多いのだが……


 と名簿を読んでいきながら……目に留まる人間がいた。


『木山 心二 (キヤマ シンジ) 無所属』

 トーナメント表を確認すると4回戦で弓かおりにKOで負けている。

 前評判の高い弓かおりはおそらくトップか2位で合格するだろう。
 元来の才能の高さに加え伊達雪之丞と恋仲という話だから近接戦闘のノウハウを学んでいるだろうし、最近は令子の事務所にも顔を出して指導を受けているらしくオールラウンダーなタイプに能力を仕上げてくる事は想像に難しくない。
 それともそのまま六道学園を卒業後に娘が持っていくのかもしれない、それを条件に彼女を鍛えたのか。

 しかし気になる点とは勝敗や相手ではない。
『無所属』という点である。

 無所属とは何を意味しているか、これはどこの事務所にも所属しておらず師事している人間もいないということを意味する。
 通常GSの資格をとるほどの強さを得る場合、才能も必要だが、それを一から見つけ育て上げる指導者の存在が不可欠である。
 何らかの理由でフリーになったのかそれとも指導を受ける必要がないほどの才能があったのか……どちらにしても数少ないスカウトのできる可能性と期待のある人間といえる。
 もっともそれはGメンに限ったことではなく、現役のGSや教会などの他の機関にとっても同じ事が言えるわけであるが。


―――――急ぐ必要がありそうね……

「西条君、少し急いでくれるかしら?」


「? ……わかりました」

 素直に頷く西条だが後5分程度で着くことは黙っていた。


 今のオカルトGメン日本支部局長の美神美智恵の脳内では『横島忠夫』の事は記憶の片隅に追いやられていた。





【同日 09:30 試験会場入口 受付】


 試験の合否がでる4時間程前……つまり試験開始前の会場入口にある受付は大勢の人でごった返していた。
 都内の規模の大きい体育館を使って試験が行われるのも、受験者の人数によるものが大きい。


 そしてまた一人、受付をしようとしている男がいた。

「木山……木山 心二(きやま しんじ)だ」

 身長は175センチあるかないかで中肉中背、外見を見る限りははそれほど鍛えられてるとは言えないかもしれない。
 髪は長すぎず短すぎず、やや収まりが悪いのか無造作に左右に流している。

 少しくたびれたグレーのスーツにノーネクタイのYシャツ、そしてスーツの上着を肩に掛けているという服装はその男のもつ性格や空気に合うものだったのかもしれない。
 ここがGS試験会場でなければという話であるが。



「はい……木山心二………受験番号は412番で第6会場です」

「412番に第6会場ね……どーも」

 機械的な反応の女性にガックリきているのか、その男は気だるげに412と書かれたゼッケンを受け取り入口に向かっていった。

 その30分後に試験が始まる。

 

 

 

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