ただ一人の観客であり指揮者でもある北村はその合図を――――


「9億………他にありませんか?」


―――――静かな……昂ぶりを隠せない声で送る。








隠者 第7話 倒錯







【同時刻・ヘリ内】


 闇に包まれた暗き森を上空から眺めた所でその色が変わるわけではない。
 ヘリ内部の明りやプロペラの音――――その全てが外の暗闇に吸い込まれていく……そんな錯覚に襲われて視線を窓から移す。
 
 苛立たしげに唇を噛んだ。

『待っているのは性に合わない』……今の心情を一言で表すならそれしかないだろう。

 元々気の長い方ではない。その場で待つぐらいなら自分から動く……そんな性格をしていることは自分自身で理解している。
 短気とは同意ではないが似たようなものだろう。
『今ここにいる自分には何も出来ない』という事実がそれに拍車を掛けている。

 不安、心配、苛立ち……子を待つ親の心境とは違うだろうが、それに近いもの―――従業員、パートナー、丁稚。


―――――横島君なら大丈夫よ……

 自分の母親が西条さんに掛けていた言葉が自分にも向けられていた気がする。


 横島忠夫に母の美智恵……オカルトGメンから依頼がくるようになって――――それは私が横島君に能力面で追い抜かされてという事と同じ意味をもっている。

 彼自身はその自覚が無いのか、それとも私に気を使っているのか……おそらく両方だろう。
 以前と変わらず『低賃金で扱き使われる丁稚』のままでいる。
 以前と変わらずスケベなバカでいる。

 変わった事といえば除霊のときのポジション――――立ち位置。

 前に……前に、前に向かおうとする。
 壁になるように――――盾になるように。

 彼の負う傷は増えた―――それに比例して。
 けれど磨かれていった―――GSとしても男としても。

 戦い方も変わってきた……例えば文珠の使い方――文珠に拘った戦い方をしなくなった。
 使わなくなったということではなく無駄使いをしなくなった……が出し惜しみをしているのではない。
 使い所を理解……考えて使っている。
 そして自分の持ち得る能力を使いこなし始めた。
 変幻自在の霊波刀と攻防一体の霊盾は彼に近接戦闘だけでなく後衛での戦いも可能にした。


 そして甘さが消えた。甘えがなくなった。
 優しさを失くしたわけじゃない。
 自分の力を揮うことに対する躊躇いをなくした。


 結論的にいえば強くなった。


 我ながら単純だと思う。
 彼に守られる事で男を感じ、それを許容―――甘受している自分がいる。
 素直になったというよりそれの心地よさが……横島忠夫に守られているということの心地よさが抗いがたいモノだったというだけである。


 このままでずっといられたら……








【同時刻・会場】



「6億7千………・」

「6億9千……」

「7億……」


 巨額の金をただ呼称するだけの冷たい三様の声がその部屋に響く。
 どこか緊張感を含ませた声はその部屋のコンサート会場のような様相とあいまって、さながら何かの演奏会のような雰囲気をかもし出していた。

 そしてその莫大な金額の演奏会の観客は一人―――北村修一。

『10億は堅いな』

 隣の檻に目を向けながらほくそえむ。



 サトリ―――非常に希少性の高い霊獣である。
 目撃されたという話は稀に聞かれるが除霊……又は捕獲されたという話は聞かない。
 それは人里に交わらないということもあるが大きな理由はその性質―――特性による。

『擬態』と『読心』、特に攻撃能力を持たない代わりにこの二つの能力に特化していた。

 目の前の者の『一番大切な者』にその姿を変える――――生き延びるために。
 目の前の相手が攻撃できない―――手を出すことを躊躇わせる……そんな姿に。
 
 それが生きていようが死んでいようが関係なく、その者の思い通りの姿に。


 どれほどの富と権力を持っていたとしても『死』は覆らない。
 ここにいる者達の中で簡単に今ある巨大な富と権力を得たものはいなかった。

 剣林弾雨を生き延びた者、血塗られた謀略や裏切りの中を潜り抜けてきた者など、己の命を賭けてきたからこその地位にいる者ばかりである。


 けれど人の掌は小さい。


 今の地位をつかむ為に零れてしまったモノもある。
 最愛の妻……溺愛していた娘……心酔していた男


 どれほどの富と権力を持っていたとしても『死』は覆らない。
 しかしそれに代わるモノがあったとしたら?

 失くしたモノがあの日と同じ姿で還ってくる――――それが偽者……人形だったとしても
 それはそのモノに対する最大の侮辱―――踏みにじっていると言えるのかもしれない。
 だがその倒錯的な欲望は強く……強くそれを求めた――――いくら金を積んだとしても。


 それがこの狂気の演奏会の根底にあった。


「9億……」


 演奏が止んだ……終わったのではない。
 三人も千万単位の上乗せでは埒があかないということが分かっているのだろう。

 ここからは億単位での上乗せが始まる。

 ただ一人の観客であり指揮者でもある北村はその合図を――――


「9億……他にありませんか?」


―――――静かな・・・昂ぶりを隠せない声で送る。


 その時……


ドゴォォォンン!!!


 派手な爆音と振動が下の階から響いた。

「なんだねこれは……」

「どうなっている?」

 参加者にあからさまに慌てている者はいない。
 この程度で取り乱していたら今日まで生きてこれていない。
 
 そして北村も

「ご安心を……この部屋の防護は完全でございます」

 穏やかに告げる。

 その声が通じたかのように収まり始める。




ギギィィィ……


 しかし爆音と振動が収まり数秒……背後の扉の開く音がして――――


 バキィッ!!


――――その音に振り向く前に背後からの痛みとともに弾き飛ばされる。



「動くんじゃねぇよ」

そんな声が聞こえた気がした。






偽者、まやかし、人形、虚像

本物ではないモノ……それがわかっていても

それを求める……大切なモノだったから

倒錯した狂気……





8話

6話