ギリ……

「こいつは……踏み越えちゃいけねえラインなんだがな……」
 
 一つの歯軋りと共に己の感情を縛り付けるかのようにわざと声に出して呟く。

 声に出さなければ押さえつける事ができなかった。
 それは怒りであり……殺意であり――――悲しみであった。






隠者 第6話  境界線






【1週間前】

 様々な木々が生い茂り、清涼な水が流れて季節と共にその姿を変える。
 そこは名も無き深い森。
 人の手の入ったことの無い未開の森だった。
 様々な動物が暮らし……動物以外のモノにとっても格好の住処となっていた。


 だがそこに入り込んでいる人間の姿があった。


「ああ……捕まえた。情報通りだ。抵抗も無い」

 一人の男が無線に向かってしゃべっている。

 その男の服装は森林用の迷彩服、腰には神通棍と精霊石銃を差し、頭部には霊視ゴーグルを装着していた。
 その男の異質さを森の動物も感じていたのか男の周りにはただ静けさだけが存在していた。

『よし、捕まえたんだな? そのまま逃がすなよ』

 男の付けている無線機の声がイヤホンから流れる。

「わかってる……だが早いとこ迎えをよこしてくれ。こっちの気が狂いそうだ。本当に……俺の娘そっくりだ。いや、そのまんまだぜ……」

 今まで冷静さを保っていた声が焦りと苛立ちを滲ませたものに変わっていた。
 得体の知れないモノへの恐怖。

 その男は右腕に『小さな女の子が入れ込まれている網』という、異質なものを抱えていた。


『パパ……助けて……放してよ……』

 
 その網に入れられている少女は、男が目を向けるとか細く泣くような声でパパと男を呼んだ。

「っ!? 声まで一緒かよ!? くっ……急いでくれ!! ああ……15分だな? わかってるさ。北村さんに怒られちまう。逃がせねえよ……」

 焦りと恐怖を張り付かせ、男は無線機に叫ぶ。
 
 自分の宝物―――娘と同じ姿、声をしたモノを網に入れて抱えている。
 自分の矛盾した行動に耐えることの難しさを実感した男はそのモノから目を背けることしか出来なかった。



「こいつがサトリってやつか……全く薄気味悪いったらねえぜ……」

 己の職業――GSというものを考えても、その感覚を拭い去る事は出来なかった。




【建物内】

 北村修一……もともとこの男の霊力はそれほど高いわけではなかった。
 もちろんGSの資格を持っている以上、常人以上の霊力はあったのだが、除霊―――戦闘には向かず、もっぱら後始末やサポートにまわるなどの裏方歴のほうが長い男だった。

 そして北村には裏方としての能力以上に一つ優れているものがあった。

 それはアイテム―――霊的トラップの開発だった。
 対霊ネット、対霊トラバサミ、対霊スモーク……妖魔や低級霊の持つ力を封じ込めるアイテムを発明するセンスがずば抜けていた。

 そしてそれは受け入れられた。

 GS協会だけではなくオカルトGメン、はては教会までこぞって北村の技術を求めた。
 『北村印のトラップグッズ』といえばオカルトに関わる者の間では知らぬ者などほとんどいない……一つのブランドになるほどの高い完成度と信頼性をもっていた。

 その後GSを退き、その技術で妖魔や精霊などの霊的生物を捕らえて売却するという犯罪に手を染めるようになった。





 

◇◆◇◆



 一閃。


「胸糞わりぃな……」

 薄暗い通路の中で横島は忌々しげに呟いた。

 今霊波刀で斬った妖魔で建物に侵入してから6匹目である。
 ただの足止めの時間稼ぎなのか、それほど強くはないが苛立たせるモノなのは確かだった。

 降りかかる火の粉を払っている……今の横島はその状態である。
 だが、その妖魔たちが明確な敵意を向けてきているかといえばそうではなかった。

 その感情を、行動をコントロールされて機械のように向かってくる妖魔。

 こちらの放つ殺気にも怯むこともなく勇敢に……いや、冷静に、無謀にも。


『侵入者を排除する』という命令にのみ従う自我を失った妖魔。
『存在理由』を『道具』に変えられても操られ、消えることも出来ずにただ向かってくる。


「哀れすぎるだろうよ……」


 そうこぼしながらさらに向かってくる妖魔を再度一刀の元に切り伏せる――――せめて苦しまぬように。
 弄ばれる命……それを斬る事でしか止めることが出来ない。

 不殺(ころさず)などという甘い考えはもはや、持ち合わせていなかった。
 自分が力を振るうことで命を奪うという事実を真摯に受け止めていた。

 守るための力、失わぬための力。
 それを使うことに躊躇いはなかった。

 けれど……


「ふざけやがって……」

 それが誰に対しての言葉なのか。

 少しづつ……少しづつ……横島の雰囲気が変わってきていた。
 道化じみた飄々としたものから明確な何かを纏い、形を成そうとしていた。

 表情も気だるげなモノから冷たいモノへ。
 横島自身気が付いていないのかもしれない。



『こいつは……妖気か?』

 それは微弱なモノだった。
 周囲の番犬として配備されている妖魔とは少し違った色の妖気。
 妖気だけではなく霊気も混じっている曖昧な感覚。

「商品が置いてあるってことなら会場もその辺か」

横島はそう判断した。
弱弱しい霊圧と妖気………力を抑えられる細工を施されたモノ達が集められていると横島は考えたのである。

『手加減は出来そうにないぜ……』

 獰猛な笑みを顔に張り付かせ胸の内に呟く。
 北村を五体満足で捕らえてくれとは頼まれていない。
 物騒な事を考えつつも足を速めてその場所を目指す。






【同時刻・会場】

 その部屋には高級な一人掛けのソファーが五つほど均等に離れて並べられ、その薄暗い席から一段低く見下ろす形になっているステージはライトに照らされていていた。
 薄暗い客席に照明に照らさていれる眩いステージ……その部屋は小規模なコンサート会場を模しているといっていいのかもしれない。

 様相だけをもっていえば。

 その部屋のソファーには三人が腰掛けていた。

「今回の目玉は何なのかしら?」

 声からすると妙齢の女のようであるがステージからは顔を見ることは出来ない。

「毎回高い金を払ってるんじゃ……がっかりさせんでくれよ?」

 年老いた男の声が響く。

「いいじゃないですか……金なんて私たちにすれば大した価値はありませんよ。」

 それを御さえるような若い声。

 薄暗い空間から響く三様の声はどれも自尊に溢れた声でありこの場に違和感なく溶け込んでいた。
 今回のオークションの参加者達である。

 億万長者……そんな言葉では生ぬるいほどの富と権力を持ち、ただ自らの快楽や娯楽のために生きているような者達。
 それが北村の主催しているオークションの参加者であった。

 自らは霊能をもたない。
 しかし自分以外の者を『屈服』させることを至上の快楽とする者たちが、人でないモノ―――己より優るモノを屈服……飼うことが出来る。

 飛びつかない筈がなかった。

 たとえどれほどの金額がかかったとしても。
 それが一人の男の逆鱗に触れるものだったとしても。

「ふふふ……私があなた方のご期待を裏切ったことがありますか?」

 その三者の声の問いかけを楽しむかのようなステージから別の声。
 北村修一だった。

「本日の商品はたった一つです……」

 さながら司会者のように静かに、それでいて高らかに北村は声を張り上げる。
 それはどこか芝居じみていたのだが不思議とその場の雰囲気を壊すものではなかった。

「ほお……」

 誰かが声を漏らす。
 いつもなら何点か安い―――といっても数百万はする―――商品をだし、最後に目玉となる珍しいモノをだすのが北村のやり方だったはず。
 それだけ今回の商品の希少性が高いのか……と、参加者は期待を膨らませた。



「では………ご覧下さい!!」

 客席の期待が高まっているのを確認した上でさらに高らかに声をあげた。





◇◆◇◆




「ここからか……」

 先程知覚した妖気を辿った横島は扉の前で足を止めた。
 薄暗い通路の明りとは違った色の光が扉の隙間から漏れ出していた……同じように辿ってきた妖気も。

 ドアを開け、中にいると思われる北村を殴りつける……簡単な事。
 『開』と刻まれた文珠をホルダーから取り出し霊力を注ぐ――――扉が開かれる。


開かれた扉の……目の前の光景に横島は息を詰まらせた。




「なんだよ……こいつは」


 
 
 怨嗟の声が、怨念の臭いが、醜悪の光景が。

 自然とこぼれた言葉だった―――見たことがなかった。

 初めて見たものだった。


 様々な機械によくわからない装置、白を基調とした内装……それは研究室、実験室というのが当てはまるのかもしれない。
しかしそこにいたモノは


   ギャァァァァ………ウォォォォォ………

        
グルルルル………グオォォォオォォォ………

                
   キュイィィィィィ………ゴォォォォ………



 銀色の杭を胸部に打ち込まれ壁に貼り付けられている人型の何か。
 胸から流れ出る体液を採取しているのか、そこにチューブのようなものがつながれている。
 その口からは半死の唸り声が響き、部屋の呪詛を担う。

 檻の中には鎖に繋がれた犬型の何かと蛇の形の何かが互いを喰らいあっていた。
 よく見るとさっき森で戦ったモノと形状が似ている。

 結界で封じられた空間には大小様々な低級霊が渦巻くように閉じ込められ、恨みと呪いの嘆きをふりまいていた。

 円筒状の水槽には一つ目の魚が泳ぎ共食いをし、足に針のような物が刺さったままの鳥が籠に閉じ込められていた。



 それ以外にも様々な異形な妖魔がそこにいた……罠に捕らえられて。



 死ぬ間際の唸り声や呪詛の嘆き、妖気や霊気がごちゃ混ぜになりその部屋には耐性のない人間が触れたら狂うほどの瘴気が充満し渦巻いていた。


 考えてみると何の不思議のない実験……研究施設。
 罠の対象とするモノの生態、習性を研究するのは当然の過程である。

 オカルト業界に広く受け入れられたトラップグッズの根底……要因がここにあった。

 徹底的に妖魔の生態、習性を調べつくすからこそ、それらの能力を効率よく封じることが出来るという要因があった。
 




ギリ……





「こいつは……踏み越えちゃいけねえラインなんだがな……」
 
 一つの歯軋りと共に己の感情を縛り付けるかのようにわざと声に出して呟く。

 声に出さなければ押さえつける事ができなかった。
 それは怒りであり……殺意であり――――悲しみであった。

 踏み越えてはならない己の心の境界線……GSとして、人としての境界線。
 踏み越えることは簡単でも戻ることはできないライン。


 横島はわざと声に出して呟いた。



「行くか……」

 まだ、何も終わっていない。
 
 まだ、何も始まっていない。







【会場】


「三億………」


「三億五千………」


「三億七千………」


 その場は奇妙な熱気に包まれていた。
 声を荒げるでもない三者の声はとても静かなものだったが、それに含まれる欲と狂気は隠すことが出来ていなかった。


『まだ上がるな……』

 北村はその場の雰囲気を読み、内心で笑う。

 止まる事無く値が上がり続けるオークション……笑いを堪えることは出来なかった。
 そして隣に設置されている檻に目を向ける。

 1メートルほどの大きさのそれには黒い布がかけられていて中の様子を見ることは出来ないが、何かがいることはそれから発する妖気が証明していた。



「六億……」


 さらに値が上がり続ける。

 

 

 

 

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