「俺の命なんて軽いもんさ…」

 特に何でもないことのように軽い口調で。


「君はっ!!」
『自分を慕う周りの人の事を考えているのか!!』

 その答えに激昂し掴みかかろうとする……が。


「けどな――もう2度と…俺の中の大切なものが無くなるのは見たくねえんだ。」
 静かな―――呟きのような…聞き逃すことは出来ない言葉を聞き、西条は我に返った。


 そして知った―――横島の強さと…弱さを。





隠者 第4話 覚悟
 







 闇と深い霧雨が包む暗い森の中、何かが激しく動く音が響く。

 それは戦いの音…




 「ちっ…」
 
 周りの状況を確認……認識した横島は一つ舌打ちをした。

 自分の動ける範囲は5メートル程の空間のみ。
 それ以外の場所は大蜘蛛の吐く糸により結界のように塞がれていた。

 「くっ!!」

 後方に跳ぶ横島。

 『グゥオオオォォォ!!』
 刹那遅れて獣の牙が通り過ぎる。

 張られた大蜘蛛の糸は人間―――横島の動きのみを封じるような高さで張られており、蛇の体を持つ獣は縦横無尽に動き横島に襲い掛かっていた。

 獣の攻撃を受け止める為に動きを止めれば大蜘蛛の糸に捕らえられる。
 糸を避けるには動かなければならないがその動ける空間が大蜘蛛の糸により削られてきている。
 そして木の上の大蜘蛛に気を取られれば地面の獣の牙を喰らう。
 
 「なら、お前からっ!!」

 補助系の相手からつぶすのは戦闘のセオリー。
 ましてや時間が限られている場合は。

 三角跳びの要領で木を蹴り上げ高く跳躍する。
 そして上にいる大蜘蛛に斬りつける!!


 だが、それを読んでいたのか霊波刀の届く前に自分で吐いた糸の中に逃げ込む大蜘蛛。

 『糸ごとっ・・・ぶった切ったる!!』

 叫び霊波刀を振り下ろす!!!……が。


 ピキィィィン!!


 「なっ!?」

 硬いものに斬りつけた感触、糸が衝撃を吸収したわけではなく霊波刀が糸に弾かれる。
 
 そのまま慣性に従い、落ちていく横島。
 地上には着地点を狙い済ますかのように獣が構えている。


 ガッ!!


 霊波刀を木に突き刺し一瞬、それに逆らい体を支える。
 そのまま木を蹴りつけその勢いで獣と離れた場所に着地する。


 「厄介だ……」

 静かに呟く。

 大蜘蛛の吐く糸は、どうやら大蜘蛛自身が触れている限り性質を自由に変えられるようだ。
 周囲の糸を観るとさっきとは違い、硬度はなさそうではあるが、なにか粘度の高い液体が垂れているのがわかる。
 
 敵には敵のコンビネーションがある。

 前門には牙を向く獣、じりじりと距離を詰めて己の牙の射程距離内に入れようとしている。
 頭も回るのか用心しながら大蜘蛛とのタイミングを計ろうとしている。

 後門には張り巡らされた大蜘蛛の糸、もう二歩下がるだけで絡め取られる。

 


 一言で言えば―――追い詰められていた。


 だが……



『昂るな……沈むな……』

 怒りで心を滾らせるな、恐怖で心を凍らせるな。
 焦るな、逸るな、心を殺すことなく。



『水を以て……空を以て……』

 水は形に囚われず姿を変えても本質は変わらず、空は形に縛られずただ其処にある。



『覚悟と共に……前へ!!』

 進む覚悟…戦う覚悟…そして生き抜く覚悟。
 意志がある限り、足を止めない。
 止まることは無い。


 横島は念じる。

 師の教えと己の誓い。

 その男には―――敗北は無い。




 瞬間、文珠を発動させる……うかぶ文字は『閃』。
 眩むような光が辺りを包む。

 文珠を二つ右手に握りこみ獣に向かい地を蹴り駆ける――――



―――光がやんだ時、そこにいたのは無防備に横たわる横島。


 シュルルッ・・・ズザッ


 大蜘蛛はそれを見逃さず糸で捕らえ引き寄せる。

 そしてそのまま喰らおうとした時―――


 ――ボン!!


 横島が爆発した。


 衝撃をまともに受けた大蜘蛛は動けないほどの傷を負う。
 大蜘蛛の何本かの足は千切れ飛んで腹が割れていた。


 そして、その後ろから現れたのは…


 「食い意地が張りすぎだ」

 横島だった。
 気配に気づいた大蜘蛛が振り向く前に霊波刀を振り下ろす。


 ズバッ!!
 
 一振りで両断する。

 もがくような動きの後…動きを止める。
 すると辺りに張り巡らされた糸が崩れ始めた。


 「ふう…」


 そして初めて息をついた。

 先ほど握りこんでいた文珠は『爆』と『模』。
 霊盾を右腕に巻きつけるように展開し、そのまま獣の片方の口に突っ込む。
 握りこんだ文珠を獣の腹に入れ腕を引き抜き自分は姿を『隠』で隠す。
 『模』により姿が横島に変わった獣を大蜘蛛が糸で引き寄せた時に『爆』が発動。
 
 これが横島の行動だった。


 「解けたか……」

 先を見るとコンクリートの建物が見える。
 暗闇の中で見るその建物はコテージで見た時の印象と違い、要塞のような堅固さを持っているように見えた。

 幻術をかけていたのは大蜘蛛か獣か…

『もたもたしてると他の獣が来るかもしれないな』

 思考を中断させて横島は駆け出した。




【同時刻・ヘリ内・西条サイド】

「今の光は!?先生!!」

 西条が通信機に叫ぶ。西条が率いるのは10名のGメンの制圧要員。
 背後に控えている制圧要員も驚きの色を隠せないのか下の森をしきりに眺めている。


『発光筒じゃないわね。おそらく文珠だわ』

 通信機越しに美智恵の冷静な声が響く。

「なら下で戦いが!?横島君は!?」

『落ち着きなさい西条君。今私たちが騒いでもどうにもならないわ。あなたは制圧隊の指揮官でしょ?自分の仕事をなさい』

「はい…」

 冷水をかけられたかのように頭が冷える。

『それに…』

「それに?」

『横島君なら心配ないわ……』

「……はい」
 
 通信を切る。

『横島君なら心配ない』

 西条の中で何の根拠もない。だが説得力のある言葉だ。
 本当は自分がそう言われていなければならないのに……不本意ながらも横島という男を信頼している自分がいる。

 張り合うという感情は持ち合わせてはいない、そう西条は自分を見ている。

『彼にしか出来ないことがあるなら僕にしかできないことがある』

 そう、自分に言い聞かせる。




【1年半前・都庁地下・訓練ルーム】


 男が一人、バーチャル空間の中で戦いを繰り広げていた。
 ただ黙々と。
 もうどれくらいの時間が経つのか。
 
 バーチャル…仮想とはいえ高性能な装置で創られたその空間での戦いは実際に傷を負い、命を落とすことすらあるものだった。
 現に男は傷だらけであった……が、眼の光は失われていなかった。

 その装置はアシュタロス事件の際、美神令子の訓練にも使われ、その男も同時期に使用経験があるものだった。

 そして、それを部屋の入り口で見つめる男の姿があった。
 見つめる男の近くにはタバコの吸殻が詰められた灰皿がある。それだけの時間、その場で見つめていたのか。
 それだけタバコを吸うほどに苛立ちがあったのか。

 そしてその男はため息をつき、壁に設置されたレバーを下ろす。
 そこには緊急停止装置と書かれていた。


シュウウウウウ…


 仮想空間が元の訓練ルームの風景に戻る。
 さっきまでの戦いが嘘のように静けさを取り戻した。


「そこまでだ、横島君。これ以上は許可できない」
 
 レバーを下ろした男――西条は戦っていた男に声をかけた。
 苛立ち紛れなのを気がついているのか。



「まだやれるさ……邪魔すんな西条」

 声をかけられた男――横島はそれに不満そうに応えた。
 大きなお世話とばかりに戦う姿勢を崩そうともしない。

「馬鹿を言うな…隊長から君を見ていてくれと言われてる。何かあったら僕の責任になるんだ。大体君はもうフラフラじゃないか」

 僕の責任…というよりここで君にもしものことがあったら僕は終わりだよ。と内心で呟きながらもそれをおくびにも出さずに理屈で攻める。
 自分の周囲の麗しき女性たちがみんな目の前の男を憎からず想っている……もし男に死なれでも、大怪我でもされた日には明日の陽の目は拝めまい、という認めたくない事実があるのだから。

「……まだやれるって」
 
 同じ言葉を繰り返す。

「………これ以上は命に係わる。僕は許可しない、帰りたまえ」

 見た目は傷だらけのボロボロだった。
 立っているだけで足元が震えている、顔色は悪い。

 誰も目の前の男の言葉を信じはしないだろう。
 
 だが西条の眼から見た横島に虚勢の色はなかった。
 戦意が衰えていない。
 
 横島自身がまだやれると……自分で自分を信じきっているようにみえた、盲目なまでに愚直なほどに。

 そこに強さではなく脆さを感じた西条は強く否定の言葉を吐いた。
 あえて高圧的に「許可しない」と。


「俺の命なんて軽いもんさ……」

 特に何でもないことのように軽い口調で。
 こちらを見ようともしない言葉は紛れも無い本音だろう。


「君はっ!!」
『自分を慕う周りの人の事を考えているのか!!』

 その答えに激昂し掴みかかろうとする……が。


「けどな―――もう2度と……俺の中の大切なものが無くなるのは見たくねえんだ。」

 静かな―――呟きのような……聞き逃すことは出来ない言葉を聞き、西条は我に返った。


 そして知った―――横島の強さと……弱さを。



 彼は強い。
 様々な能力を使いこなし、霊的戦闘ではトップクラスの実力。
 強い意志を持ち己が傷つくことを厭わない。


 彼は弱い。
 失うことを恐れる。
 己の無力さを恐れる。

 自分が傷つくよりも何よりも大切なものが傷つくのを恐れる。

 自分が命を失い、力尽きる事よりも大切なものが失われるのを恐怖する。

 
 『死んでも守る』『命がけで守る』

 
 矛盾して自分勝手な考え。
 それでいてガラス細工のように繊細でダイヤモンドのような硬い意志。
 
 これが並みの男なら鼻で笑う西条だろう。 
 自分の命を粗末にする甘い考えだと、死ぬということを甘く見すぎていると、鼻で笑うだろう。

 だが目の前の男は一度命を失いかけた。誇張でもなく言葉通りに。そして救われた。

 目の前の男はこの世の中で命の価値を、生きるという価値を最も知っている男だろう。
 その男からしての言葉には、「己の命は軽いもの」という言葉には反する重みがあった。


 『僕と一緒なのか……』

 西条はプライドが高い。
 傲慢、うぬぼれ、自尊心が強いという意味ではない。高い目標をもち、こうありたい、こうあるべきだという自負心と矜持が強いのである。

 それが災いし傷を負い、失敗する事もあった。
 不器用な生き方だと人は言う。能力はあるのだからうまく立ち回れと。
 
 だがそうしなかった。
 それでうまく立ち回ったとしてもそれは自分ではない。
 己の誇りを捨ててまで得た結果には塵ほどの価値も無い。
 利口な生き方など望んではいない。


 一人は恐れ、強さを求めた。
 誇りを失わぬために誇りを貫く為の強さを。

 一人は恐れ、強さを求めた。
 命の価値を知るからこそ、それを失ってでも守れる強さを。


 力が無ければ、強くなければ何一つ守れないということを二人は知っていた。



 程度の大小はあっても同じ強さと弱さを併せ持つ。
 劣等感を持つことすら彼に対する侮辱だった。



 そして……

「まったく世話が焼ける…」

 小さく呟いた。やれやれといかにも面倒くさそうに。

 
 ドスッ!!


「っ!?テメッ…」

 横島の腹に当身を入れ気絶させ―――

「よっと…」

 ――肩に担ぎ上げる。

「少し休みたまえ…誰も君が強さを求めるのを邪魔はしないよ」

 そう言って医務室に運ぼうと歩き出す。

『一張羅なんだがね…』

 担ぎ上げた横島の傷から流れる血が自分のスーツに染みていくのを感じて…







【ヘリ内】



「発光筒の合図があがったらすぐに着陸し2名一組で散開する。時計を合わせておけよ」

 部下に指示を送る。

 着陸の時は近い。





 男は誓う、前に進む事を。

 男は誓う、留まりながらも前を向く事を。

 同じ道、同じ時。

 進む方向は違えど、目指す場所は同じ。

 

 

5話 涙

3話 疾駆