「なんで…教えてくれなかったっ…!!」

顔を悲しみに…悔しさに…様々な感情に歪ませたしぼりだすような声。


隠者 第3話 疾駆





 濃い霧雨が降りそそぎ、深い闇が包み込む…そんな深い宵闇の森を駆ける男の姿があった。
 いや、正確には姿はない。
 それを視覚で認識することは不可能であった。
 音も無く、気配も無い。
 文珠で全てを隠し横島は駆ける。


「―――どういうことだ?」
 
 足を止め自分に問うように呟く。

『あのコテージから会場までは約3キロ…そろそろ見えてもいいはずだ』

 西条と別れてすでに20分が過ぎている。
 屋敷の場所を入力したGPSを確認すると屋敷との距離はもう100メートルを切っている。
 だが目の前に広がるのは深い闇と森だけ…

 「幻術…か」
 静かに言葉を吐く。
 ただ確認するかのような冷静なもの。

 この場合考えられるのは建物自体が幻術で隠されている場合と自分が幻術の効果範囲内にかかり惑わされている場合の2つが考えられる。
 だが横島は前者の考えを打ち消した。
それは、建物自体を幻術で隠す・・これは結界の類のものでありシロの故郷の人狼の里が例に挙げられる。
 これは大変大掛かりなもので霊力の強い人狼が幾人もいて初めて創れるものでありいくらGSとはいえ人の手で創れるものではない。
 とすると…

「踏み込んだってことか」

 文珠で気配を殺していたはずなのに…とは横島は思わない。
 自分の力の限界、文珠の限界なんてものは理解するほどに認識している。
 
 応用性はあるが万能ではない。
 
 これが横島が持つ文珠に対する認識である。
 霊波刀や霊盾と同じようなレベルの意識、ただ一つの己の能力として使うのみ。
 同じGSからは羨望の目で見られるが。

 今回の場合は『自分』から『外』に対する気配は遮断していても『外』から『自分』に対する感覚を遮断していなかったため幻術にかかってしまった。
 警戒しながら進む為の手段が裏目に出た結果である。

『この手のタイプの幻術は術者を倒さなきゃ消えないか…』
 
 そう考えると文珠の効果を消し姿を現した。

「いったい何が出てくるやら…」

 闇の森に潜む狩人をおびき出す為にわざと霊力を弱く開放した。
 そして神経を闇に向ける。

「来たな…」

 30メートルほど先に『なにか』の気配を感じ再度文珠を発動させ姿を隠す。

 姿を隠しそれに近づく…気配が15メートル程になり待ち受けるため木に登る。

 10メートル…5メートル…

『なんだあれは…』

 声に出さずに呟く。

 それは大きさは2メートル程の『双頭の狼に体は大蛇』という見たことの無い獣であり横島の呟きも無理の無いものといえた。
 元々GSとして式神や妖怪など異形は見慣れていたがそれは実際にいるはずのない獣だった。

『鼻が利く狼の顔と森を移動するのに適した蛇か。狩人だな……だがっ!!』

 狙い通りに獣が横島の登る木下を通過する―――――


タッ!!


―――――横島は飛び降りた!!

 霊波刀を出しその勢いのまま全体重を掛けて双頭の部分の継ぎ目を突く。

『獲った!!』

 ズブリッ!!

 肉を刺した生々しい感触が伝わる。
 異形のうめき声も霊波刀を通じて伝わる気がする。

 そのまま霊波刀を切り離し地面に縫い付ける。

「やっぱこれぐらいじゃ死なねえか…」

 みると首の後ろから刺されているのに弱る気配は無い。
 それどころか刺されたところが修復され始めている。
 霊波刀が刺さっているので修復し切れていないが。
 もがきながら縫い付けから脱しようとする様は蛇の動き。

「どうしたもんか・・・つっ!?」

 危険を感じ反射的に後ろに跳ぶと前の木に白い糸のようなものがかかっていた。

「なんだ!?」

 見上げると木の上から3メートルはありそう蜘蛛がこっちを見下ろしていた。

「誘い込まれたのはこっちの方ってことか…」

 観ると辺り一面に糸が張ってあり、狩人からすると正に蜘蛛の巣に掛かった獲物といったところだった。
 獣が無防備に近づいてきたのも蜘蛛の囮になる為、蜘蛛の領域に自分を誘い込む為だった。

「たいしたチームワークだな」

 嘲るように呟いた。
 獣も霊波刀の縫い付けから抜けこちらに向かって唸り声を上げ構えている。

「時間がないんだ…通らしてもらうぜ」

 それほど焦った様子もなく言い、霊波刀を具現化させた。
 そして彼の纏う雰囲気が変わる――冷たいものに。
 静かな断りのような言い方の中にどれだけの意味が込められているのか、異形たちは知らなかった。



「いくぜっ!!」


―――――――疾駆する





【同時刻・ヘリ内】

 機内には美智恵、令子の二人が乗っていた。
 西条は突入部隊の指揮のため違うヘリに乗り込んでいる。

 「美神除霊事務所に…横島忠夫に依頼するようになってどれくらいになるかしら…」

 令子にではなく自分に問うように言った。
 『横島君』ではなく『横島忠夫』。
 娘の同僚としてではなく一人の男性に対する呼び方。
 違和感無く言葉にすることが出来た。

「ママ?」

 無関心ではいられないのか令子が聞き返すが、美智恵の意識はそっちにはなかった。

 

 『今でこそ彼は苦笑しながら頼み事を聞いてくれるけど…』
 
 美智恵は2年前の横島とのやり取り、向けられた感情を忘れることが出来ないでいた… 



【2年前・美神除霊事務所】


「ふざけるなっ!!!」

 横島の怒声が事務所内に響いた。
 普段荒げる事の無い男の声が。
 そこにいるのは横島、美智恵、令子、オキヌ、小竜姫、ワルキューレの6人。

 美智恵のお腹に新しい命が宿ったことがわかり、その話題に花を咲かせていた時だった。

 その場にふさわしくない―――――異質な怒鳴り声

「どっ、どうしたの?いきなり怒鳴ったりして……」

 横島以外の5人とも揃って疑問の表情を浮かべていた。


「隊長…あんた、知ってたのか?」


 それを無視するかのように横島は美智恵に問う。
 前の怒声とは一転して静かな口調…けれど彼はその言葉に己の感情の全てを込める。
 睨みつけるかのように一点に美智恵を見つめていた。

 
「…………」


 それで意味が通じた…込められた感情も。
 主語も無い簡潔な言葉ゆえに、隠すことなく横島の感情が込められていた。

 問に対する答は存在する…この場でも。
 
 だがそれを口にすることは出来なかった。
 過去の美智恵ならば…指揮官の美智恵ならば簡単に言えたかもしれない。


 全てを知りつつ、傍観していた――――と。

 それが最善だった――――と。

 
 だが、全てを終えて娘と再会した母親としての美智恵には…


「よ、横島さん……何を?」

 美智恵を睨む横島の目と、それに込められた感情に戸惑うオキヌ。
 彼女にはわからなかった。
 全てが終わった、そう思っていた。



「さぞ、滑稽だっただろう!?最後には守りきれない女の、最後にはてめえの手でトドメを刺すことになる女の…ルシオラの為に戦う俺はな!!
 あんたは新しい絆を手に入れた…俺は全てを失くした!!自分のこの手でだ!!ルシオラが…俺が何をした!!あいつはただ精一杯生きたかっただけだ!!!俺はルシオラを助けたかっただけだ!!」

 心の壁から溢れ出るように流れ出す言葉。
 真摯で真っ直ぐな彼の感情。
 尽きることの無い後悔と悲しみ。

 一人の女のために始めた戦いだった。
 初めて強く、自分から強さを求めた。
 惚れてくれた女のために、強さを信じてくれた女のために。


 いつの間にか世界と女を握り締めていた。


――――誰か他の人にやらせるつもり?自分の手を汚したくないから


 魔神を倒す…彼女と交わした約束だった。



 世界をとった。



 令子からルシオラが自分の娘に転生する可能性があることを教えられた。
 彼女とまた会える可能性があることを知った。
 だが…事実は消えない。
 彼女が自分のために命を捧げたこと
 自分が彼女にトドメを…生きる可能性を絶ったこと
 罪悪感、無力さ、後悔に押しつぶされそうだった。

 心が壊れる前に…それが溢れ出した。


「なんで…教えてくれなかった…!!」


 顔を悲しみに…悔しさに…様々な感情に歪ませたしぼりだすような声。


「横島さん、それは――」

 美智恵を庇うように小竜姫が口を出そうとする。



「神族は黙ってろ!!!」

 それを遮るような怒声。
 普段なら呼び捨てにすらしない相手を神族と呼ぶ。
 それは彼女達への拒絶。
 正しく『関わっていない者』が口を出すなと言っていた。


 その言葉に小竜姫だけではない、ワルキューレまでも口を閉ざしていた。


 後悔を炉にくべ、悲しみの中で憎しみを燃やしていた―――自分に対する


「なあ…教えてくれよ。本当にあんたには何にも出来なかったのかよ…あの時の俺はあれしかなかったのかよ…あいつは死ぬしかなかったってことなのかよ!!教えてくれよ…教えてくれ…」

 感情を燃やし尽くしたかのように最後は弱弱しく嘆くような声に変わっていた。
 美智恵の胸元を掴む手にも力は無く、ズルズルとへたり込むように。



 誰も何も言うことが出来なかった。
 彼が守りたかったモノの…守れなかったモノの大きさを知っているから。
 自分達が彼が犠牲にした、手放したモノのおかげで生きていることを知っているから。



「すいません」


 そう呟き横島は部屋を出て行った。
 そして、その日は帰らなかった。

 次の日横島は5人に謝って回った。
 横島が自分の心に、皆に、この世界に対してどう心の整理をつけたのか…それは彼にしかわからない。


 その後生まれたひのめはかわいがってもらっている。
 そこには負の感情はない。
 赤ん坊は正直だ。
 自分をいとむ相手にああまで懐きはしないだろう。

 だが彼女は忘れることが出来ないでいた。
 
 あの時の彼の目を…搾り出すような嘆きを…忘れることが出来ないでいた。





 時は過ぎる。
 それを失くした男にも…それを手にした女にも…等しく、平等に
 男は戦う…深い後悔と悲しみを背負い…闇の中で
 女は顧みる…歩んだ道とその道の景色を

 ―――等しく、時間は過ぎる

 

 

4話 覚悟