カタカタという乾いた連続音だけがその部屋に響いていた。
 パソコンのキーボードを的確に素早く叩ける者だけが出しうる音。

『横島忠夫…19歳、元美神除霊事務所所属、能力…霊波刀の扱いに長け文珠と呼ばれる神魔人でも稀な特殊能力を持ち、その身に魔族因子を宿しそれに伴った身体能力と技能を持つ可能性が高い。
 2年前のアシュタロス事件と呼ばれる魔神クーデターの終結に多大なる功績を残しており、GS協会よりS級GSの認定を受けるが辞退。
 そして二ヶ月前におきた事件から姿を消し危険度Sのランクで特別指名手配を受ける。
その後の彼の足取りは掴めていない。生存しているかも不明である』

 

隠者 第1話 発端

 

「ふぅ…」

 オカルトGメン日本支部長の役職についている美神美智恵はある人物に対する報告書の作成を終えて一つため息をついた。疲れからのため息か悩みからのため息か、あるいは両方か。

 その報告書のデータのセキュリティランクは機密のS…自分と同程度の権限を持つものにしか閲覧することのできないようにセキュリティをかけた。
 そのことからもそのデータの示す人物の持つ特異性がうかがえるものだった。

「なんで…こんな事になったのかしら…」
 後悔を嫌う美智恵らしからぬ深いそれに染まった呟きは、美智恵しかいないその部屋に悲しく響いた。

 

【2ヶ月前・美神除霊事務所】

 

「潜入ですか?」

「ええ。正式に美神除霊事務所に対する依頼としてあなたにお願いするわ」

 その日は依頼がなかったがオキヌ、シロ、タマモは学校の為不在、事務所には横島ともう一人しかいなかった。
 美神除霊事務所…その世界では超1流と格付けされる除霊事務所である。少し厄介な仕事であったが、いや、厄介な仕事だったからこそ美智恵がそこに、横島忠夫に依頼するのは妥当といえるものだった。

 文珠の横島…魔装術の伊達とともに若手GSのなかでもトップクラスの実力を誇るGSであり美神除霊事務所のエースともいえた。
もっとも給料は若手GSでも最下位であるのだが。

「ちょっとママ!うちの丁稚に勝手に依頼しないでよ!」
 言わずと知れた所長の美神令子である。
 実力は丁稚に抜かれても生殺与奪は私にある!!と言わんばかりに口を出した。事務所のエースは横島であるという事実と実力を認めてはいるのだろう。それでも自分の上で話をされるのが我慢ならないらしい。それは一つの焼きもちという感情でもあるのだが。

「最後まで話を聞きなさい令子。今回は少し込み入っているのよ」
 そんな娘の心内を見抜き、微笑ましくも苦笑しているのか話を続けようとする。

「隊長からっていうかGメン絡みの依頼ですんなり終わった事ってありましたっけ?」
 そんなやり取りにやや苦笑した横島のもっともな発言…もとい疑問は無視された。



「北村修一って知ってる?」
 美智恵は母親から指揮官としての顔に変えて話を切り出した。心なしか雰囲気…その部屋の空気も張り詰めた感じがある。それが美神美智恵の人間性なのだろうか。

「北村修一?北村…北村…ああ!ちょっと前に退いたGSでしょ?」
 令子も同じく所長の顔に切り替える。依頼に関しては一切の甘えも妥協もないことは超1流と格付けされている事務所の評判が証明している。

「よく知ってますね〜俺なんか身内の同業者しか名前わからんのに…」
 対して横島忠夫は変わらない。

「無理も無いわよ。あんた霊的アイテムなんてほとんど使わないでしょ?北村修一はGSとしての実力は3流以下だけどアイテムを作るセンスがあったのよ。特に捕縛系のやつをね」

「捕縛系?」

「そう。トラップに使う対霊トラバサミや対霊ネットなんかは北村が発案、製作したものよ?他にも色々あるけどね」

 GSはもちろんオカルトGメンや教会に至るまで、およそ霊能に関わり祓いを生業とする者たちに広く使われているのが北村印のアイテムである

「へえ…けどその北村修一がどうかしたんですか?」

 元手ゼロで依頼をこなせる男からしたら北村印と言われてもピンとはこないのだろう。

「北村がGSをやめたのは半年ほど前なんだけど、その頃からウチで扱う事件に不自然に増えてるものがあるの」

「不自然に増えてる事件?」

「ええ。『不法霊的生物所持』ってやつなんだけどね」

「霊的生物っていわゆる霊獣とか妖怪でしょう?タマモやシロみたいな」

「タマモちゃんやシロちゃんはまた少し違うけど、概念的には合ってるわ。メジャーどこを言うなら『カマイタチ』や『天狗』、『コロボックル』とかね。その地に括られてるかどうかでまた分かれてくるんだけど…」

「けど不法所持ってどういうことです?」

「言葉通りの意味よ、横島君。高級のペット感覚で所持してるってこと。コレクターって言っていいのかしらね、最近増えてるのよ」

 忌々しそうに答える。言葉が冷たさを増した。

「って、ペット感覚って妖魔なんだからそうそう捕まらないだろうし危険じゃないですか!!」

 それはGSとして悪霊を除霊、実害のある妖魔を退治している者にとっては当たり前…共通の認識である。
 現に横島自身、上司でありGSとしての師でもある令子から常日頃から「どんな格下の相手でも気を抜くな。人じゃないモノに気を抜く事は死を意味する」という認識を叩き込まれている。人が人でないモノと対等に戦うには最低限の認識である。

「大体どうやって捕まえるんすか?ん…まさか!?」
 自分の疑問に自分で答えを導き出す。
 ありえそうで信じられない答えであるが。

「そう。北村が新しく造った罠。ご丁寧に力を封じる物らしいわ。文字通り飼い殺しにする為の物ってわけね」

 それに正解を与える美智恵の声。

「けどママ、その不法所持してた連中と北村は何か関係があるの?」
 冷静さは母親譲り…『飼い殺し』という言葉に嫌悪を滲ませながらそれを出さずに訊く。

「……珍しい霊的生物ほど高値で取引されているわ。そして北村が現役GSの時にそこまで高性能の罠を造ったという話はきいてない……新しくアイテムを開発するには莫大な費用がかかるわ」
 同じく感情を表に出さないような声で娘からの問に答えではなく回りくどい説明を加える。謎掛けのような難解なものではなく簡単な説明。

「それって…」
 横島は自分が怒りに染まっていくのを感じながら話を促した。それが顔に出ているのは若さゆえの素直さか。

「ええ、売っているのよ…ある程度の資産を持った人間にしか参加できないような会員制のオークションという形にしてね」

「そんなふざけたことGメンは…ママはほっとくの!?」
 感情のコントロールの限界なのか荒げた声。
 美神令子は己を正義と当てはめてはいない。けれど許せぬもの、許してはならないものを知っている人間だった。

「だから話は最後まで聞きなさい令子」
 二人分の嫌悪と怒りの混じった視線を冷ややかに流し答えた。美智恵も冷静さの中に怒りを滾らせているのか。

「1週間後、そのオークションがある屋敷で開かれるっていう情報をつかんだわ。そこに横島君に潜入してほしいの」

「ちょっとママ。そんな回りくどいまねしなくても北村の首根っこ掴んで引きずり出せばいいじゃない!」

「掴めないのよ…」

「え?」
 ため息の混じった疲れたような言葉につい、聞き返す。

「掴めないのよ。Gメンの情報網でもオークションの日時と場所しかわからないの。北村という男は用心深い性格らしくてね。普段は表に出ないのよ。オークションの日が唯一にして最良の機なの」

「けどなんで俺なんです?Gメンにもそういうスキルを持った人ぐらいいるでしょう?ピートなんて体を霧に出来るんだし、潜入だったらよっぽどあいつの方が…」

「トラップよ」

「はい?」「なるほど…」
 二人が同じタイミングで言う。

「どういう事です?」

「言ったでしょう?北村は用心深い性格だって。その手の罠は絶対に仕掛けているわ。実は前回のオークションの時に彼には手伝ってもらったのよ」

「どうなったんです?」

「逃げ出してきたわ…傷だらけでね。もう少し退くのが遅かったら彼が捕らえられていたそうよ」

「そんなら俺だって同じ・・・・あぁ!」

「そう。いかに高性能の霊的トラップだろうが、あなたの文珠で無効化できないものは無いわ。それが理由よ」

「でも潜入してどうするんです?」

「べストなのは捕まえることね。『縛』でも『止』でもいいわ。それか北村を追う手がかりになるものとして『印』『追』とかね。私たちもその場所を中心に包囲する予定だから」

「・・・わかりました。いいですよね?美神さん。」

「そうね。引き受けるわ。ママ」

「ありがとう。二人とも」

「あっ!ギャラはしっかりもらうからね!」

「「…………はぁ」」



「じゃあ、今日のとこは帰りますね」

「ええ、また明日ね。あっ…明日は出てくるの昼からでいいから」

「わかりました〜!じゃ!」



 外に出てみるとちょうど夕焼けが辺りを染める時間だった。

「昼と夜の一瞬の隙間…か」

 ふいに胸に切ない想いがよぎる。
 思い出という名の鈍い痛み。

『吹っ切ったもんだと思ったんだが…な』
 心の中で呟く。
 あの時から2年。心の痛みに慣れたのか鈍くなったのか、横島は周りから見る限りでは危ういところはなくなっていた。



 道の先から子犬を散歩させている女の子が歩いてきた。首輪をつけた子犬と仲良さ気に歩いてくる少女。
 

『―――ペット感覚か』
 さっき美知恵の話を聞いていて心が怒りに染まったのを思い出す…が、

『人が犬や猫を飼うのと何の違いがあるんだろうな』
 そんな疑問がうかぶ。
 だが・・答えは出ない。

「らしくないな」
 声に出して自嘲気味に呟くと横島は歩き出した。

『一瞬の隙間』は終わり辺りは暗くなり始めていた。




 これが始まりだった。

 これからの事件の…そして隠者とよばれた横島の…始まりだった。

 

 

 

2話 侵入前