「わかってる。逃げるさ…やばくなったらな」

情けない台詞とどこかおどけたふうな態度とは裏腹に彼の自身の格に揺らぎはなかった。

 

隠者 第2話 侵入前

 


 横島と美神美智恵、令子は同じ車で現場に向かっていた。
 美智恵が運転席、令子が助手席、横島が後部座席に座っていた。
 三人の間に会話は無い・・・いや会話が止まっていた。そして先ほどから少し張り詰めた空気があった。


【15分前】


「雨が降りそうよね」
 美智恵は運転しながら独り言のように言った。実際独り言だったのかもしれない。それとも作戦を心配しての言葉なのだろうか。
 外の天気は曇り、窓から湿度を多く含んだ風が入り込んできた。顔を少し歪めた美智恵は窓を閉める。

「しかしよかったんですか?シロとタマモやオキヌちゃんに今回のこと何も話してないじゃないですか」
 天気には触れずになんとなく気になってることを訊く横島。
 それは戦力的な心配ではなく身内に隠し事は作りたくないという横島の優しさと素直さ。

「言ったでしょ?秘密裏に…あなたの存在を隠す必要があるわ。その為にはこの事を知ってる人間を可能な限り少なくしないとね。本当は令子、あなたにも知らせたくなかったのよ」
 そんな横島の感情を好ましく思いながらも指揮官としての言葉を返す。娘にはプライドをくすぐるような言葉を掛ける。

「へ?じゃあ今回の俺を知ってるのは?」
 そこまで大事になってるとは考えていなかったのか間の抜けた問と顔。

「うちじゃ西条君だけよ。包囲してる人間にはオークションに参加した連中を逃がさない為って言ってあるしね」

「敵を騙すにはまず…って事ね。」
 令子自身よく使う手段である。自分が実際使われたら怒るだろうが。

「そう。こっちもそれだけせっぱ詰まってるのよ…」
 自分に言いきかせるような口調…しかし冷静さを失わない声。そして何かの決意をひめた声。
 こういう時の美神美智恵は強い。

「どういうことです?」
 普段見慣れない美知恵の顔と態度に横島は疑問を感じた。
 『見たことがない』ではなく『見慣れない』、初めてそれを見たのは2年前。追い詰められた状況からの逆転の一手を導き出した時もこういう顔をしていた。

『―――やっぱり厄介事か』
 心で呟き頭を働かせる。
 逆にこの人がこの顔をしている時はろくな事がないといいたげに。

「妖怪は…というより自然に存在する霊的生物はその場所の霊的バランスを保つ役割を担ってるわ。その地の土地神や精霊も同じ事ね。横島君も依頼の後のアフタ−ケア、その場所の霊的整理は欠かさないでしょう?」

「はあ…」

「これを見てちょうだい」
 美智恵は鞄から一枚の写真を取出し横島に渡した。ハンドルから手を放し。

『運転中にハンドルから手を離さんでください!!!』
 心の中で突っ込みを入れながら受け取った。
 助手席の令子を見ると微動だにせず落ち着いている。
 この母にして…である。

「これは?」
 それは不自然に木々が枯れた山の写真だった。季節の移り変わりによる枯れ木ではなく朽木。常緑樹とされる樹木までも枯れはて無残な姿を残していた。
 山の息吹…生命を感じさせない写真だった。

「そこは3ヶ月前は普通の山だったのよ?」

「そんな馬鹿な!木が枯れきってるじゃないですか」
 今は9月、どう考えても木が枯れる季節ではない。ましてや朽ち果てるなどと。
 その写真の木は全て枯れ、朽ちていた。

「その山の精霊…土地神がいなくなった?」
 令子が冷静に言った。
 写真を見ずに会話の流れを読んでの言葉。

「ええ、正確には捕らえられたってとこね。それにここだけじゃないわ。売られていった霊的生物が元々住んでた場所はみんなこんな風にその姿を変えているわ…悪い方にね。それにその土地の地脈も同じように乱れてきてる。このままだと何が起こるかわからないのよ」



 少し間を置いて横島は訊いた。
「…ところでその捕まったり売られたやつらはどうしてるんです?元いた場所に返してるんですか?」


「…………」
 言いよどむ。
 この答は一番彼が嫌う・・いや、嫌悪する答。しかし言わねばならない。
 彼の抱く感情がこの依頼にプラス方向に働くなら…


「隊長?」


「むりやりその土地から切り離され、力を封じる罠を体に受けてコレクターからは家畜のような扱いをうけてたのよ?一月も経たないうちに衰弱して死ぬわ。だから次のオークションで違うのを買う…全く…たいした商売方法よね」
 忌々しそうに答えた。


「腐ってますね…」
 何に対しての言葉なのか誰にもわからなかった。





 車が目的地に着いた。
 問題の屋敷から3キロほど離れたコテージである。
 そこには長髪で長身の男性…西条が待機していた。

「ご苦労様です。先生、令子ちゃん」
 横島は無視された。

「ご苦労様。」「おい・・俺は無視か?」
 同じタイミングで応えた。

「何か動きはあったかしら?」
 同様に横島を無視する美智恵。

「いいえ。我々にみえるような動きは今のところ…」

「…そう」

「あれがその会場の屋敷ですか?なんか屋敷っていうより研究所ってかんじがしますけど」

「それか刑務所ね」

 目を向けた先には森の中には不釣合いなコンクリートの建物があった。
 3キロほど離れたコテージからもわかる大きさの建物は周りを柵と有刺鉄線に囲まれていた。いかにも立ち入り禁止とでも言いたげなように。

「いかにも何かやってますって感じじゃないですか」
 双眼鏡を覗き込みながら横島は言った。何となく泣きそうな声に変わっているのは危険そうなのがありありとわかるからだろう。俺ってばいつもこんなんばっかりや〜などと呟いているのがわかる。

「実際何かやってるのよ」
 美智恵があきれた感じで言う。それは横島の言葉に対してか、普段と変わらない横島の態度に対してのものかはわからないのだが。

「けど横島君、ここからあの屋敷までどうやって行くの?腐るほど罠はあるんだし、一つ一つ文珠で無効化するわけにもいかないでしょ?」
 令子が無意識に文珠の価値とコストパフォーマンスを計算し横島に訊く。

「そうですね。だから…こうしようと思います」
 そう言うと横島は両手に一つづつ文珠を生み出した。
 それにうかぶ文字は『隠』と『透』。

 発動する。

「「「消えた…」」」
 三人の声が重なった。
 姿が見えなくなっただけでなく気配から霊力までいきなり感知できなくなった。いなくなった。
 だからこその『消えた』なのである。

「どんなもんです?」
 いきなり目の前に現れた。
 悪戯が成功したような無邪気さが混じる楽しげな口調で言う。
 西条と令子はともかく美智恵まで驚かされることはめったにない。

「……なるほどね」
 一息つけ納得したように美智恵は言った。

「掛かる獲物を感知出来なければ罠は発動しない。それに屋敷に誰がいようが関係ないわね。そこにいるってわからないんだから」

「「・・・・・」」
 令子と西条は言葉を発することは出来ない。あまりの非常識さに。透明人間どころの話ではない。そこにいるという要素を完全に消して見せたのである。


『ピ―――』
 それを破ったのは西条の持つ無線の呼び出し音だった。

『どうした?ああ…解かった…手は出すなよ。その現場を維持だ』


「先生。参加者がこっちに向かってるそうです」

 瞬時に部隊を率いる者としての顔、美智恵の教え子としての顔を取り戻しているあたりに西条の有能さを伺える。

「時間ね。横島君、準備はいいかしら?」

「はい。じゃあちょっくら行って来ます」

「ここから先は妨害で無線も使えないだろうから連絡が取れないわ。だからこれを渡しておくわ」
 そう言って筒のようなものを渡す。

「これは?」

「発光筒よ。上に向けてそのつまみを折れば50メートルほどの高さまで光玉を発射するわ。プラズマのような霊的物質だから結界以外ならすり抜けて空に上がるから外に向ける必要はないわ。私たちはあなたが行った後ヘリで上空に待機します。全てが終わったらそれを使って。その発光筒の合図で私たちも空から突入し一気に内部を制圧します」

「わかりました。」
横島も顔を真剣なものに変える。

「深追いしないようにね。危険だと判断したら『転移』で戻ってくるのよ」
 上司としての心配とそれ以外の心配を滲ませ令子が声をかける。一番横島を信頼してるのも自分、心配してるのも自分、そうありたかった。

「しっ…心配してくれるんですか美神さん!?ぼかぁ〜もうこのお礼は体で払うしか…」

ドカッ!!ドカッ!!・・グシャリ

 西条と令子の攻撃を連打で受け床に沈んだ。
 ぶち壊しである。

「なに勘違いしてんの!!あんたの生殺与奪は私にあるんだからね!!それにあんたが失敗したら美神除霊事務所の失敗になるんだから!!そこんとこよ〜く頭に入れときなさいよ!!」
 顔を赤くしてるのは怒りか照れか…ゲシゲシと踏みながらの言葉では怒りしかないだろうが。

「ひ、ひどい…」

いつもの二人のやり取り……最後の。





【森の手前】


「これ以上進むと罠に感知される。送りはここまでだな」
 ジープに乗った西条は言った。

「気をつけて行きたまえ。横島君」

「へっ…お前に心配されるとはな」
 ジープから降り、おどけるように言う。世も末だぜ…とにやけながらの言葉はさっきまでの横島と似ているようで違っていた。言葉遊びのように。

「茶化すな!!今回のは今までとは危険度が違う!!」

「わかってる。逃げるさ……やばくなったらな」
 それに乗らずに怒る西条に対し、内心で堅物と吐き捨てながら。
 情けない台詞とどこかおどけたふうな態度とは裏腹に彼自身の格に揺らぎはなかった。コテージで令子に言われた言葉に乗じたものだったのかもしれないが。


「ふん…」『彼に心配は無用か』
 西条の心中にそう呟かせるほどに。
 根拠のない確信。信用していないが信頼はしている。

「……じゃあな」
 文珠を発動させたのだろう、言葉と同時に姿は消えていた。

「戻るか…僕は僕にしか出来ないことをやるだけだ」
 そう呟き車をUターンさせ元来た道を引き返す。




空は暗かった

月も出ていない深い宵闇

そこに降るのは深い霧雨

森を駆ける男の足元を包むように…隠すように

森を駆ける男の姿と心を覆うように …暈すように

 

 

  3話 疾駆