長く生きてきて幾度も出会いと別れを繰り返した

会うは別れの始まりという言葉もあるが

あの男の別れは悲しすぎた

 

 

退魔の銀  番外編  弐

 

 一人の老人が廃ビルの屋上に立ち、朝日の昇る様をじっと眺めていた。
 黒いマントの中の右手の中で銀色の珠を玩びながら。

「マリア…見えるか?」

 主語もなく、相手も見ずに。


「イェス・ドクターカオス・公園から灰が・立ち昇っていきます」

 マリアと呼ばれたアンドロイドは足らない言葉を理解して答えた。
 感情の込もらぬ冷たい声、事実だけを簡潔に主に伝えた。


「………そうか」

 カオスも同様に一言だけ、マリアを見ずに変わらず朝日を眺めていた。

 間に合ったんじゃな……

 そう、呟いた。

 

 

 カオスの元を男が訪れたのは1週間前のことだった。

 
 こいつを俺の胸に埋め込んでくれ


 男が妻と娘を亡くしたことは知っていた。
 その葬式にも参列したのだから。
 遺体の無い葬式、けれど皆、実際にそこにいるような悲しみを見せていた。

 男はその時涙を流していなかった。
 取り乱しもせず、何かを考えているように中身の無い棺を見つめていた。

 その男の様を責める人間はいなかった。
 男の分の涙を流す者しかいなかった。



 訪れた男のような目をした者には長く生きていても早々お目にかかれるものではない。
 絶望を受け入れた者の目。
 悲しむでもなく、恨むでもなく、全てを受け入れていた。


 そういう男にかける言葉は持ち合わせていなかった。
 ただ一言。


 わかった、マリア…準備を


 
そう、背後に呼びかけただけ。
 マリアの肯定の意。


 イェス・ドクターカオス


 
普段と変わらぬマリアの言葉が変わり果てた男を僅かに苦笑させた。

 

 

 七日目の夜、満月が闇の力を強化してようやく動けるようになった男。
 拒絶反応という言葉すら生ぬるいほどの痛みを耐え抜いた男の顔は尋ねてきた時と変わらぬものだった。


 迎えに来た三人の友人とのやり取りも淡々としたものだった。
 男だけではない、友人達も同様にいつもと変わらぬもの。

 全員が受け入れていたのだろう。

 男が肉体を闇に染め、1週間後に自我を失くし変貌する事も。
 男が肉体に退魔の銀を埋め込み、痛みの中で妖魔と戦う事も。


 男は決めていた。
 目をそむけずに見届ける事を。
 二度と、男の前で涙を流さぬ事を。
 
 男は決めていた。
 己の力で友を破滅に追いやる事を受け止める。
 最後まで男の友としてあり続ける事を。

 男は決めていた。
 もしも友が妖魔を殺せなかったら己の手で必ずと。
 友が変わる時が来たならば己の手で必ずと。



 何気ないやり取りのはずが厳粛な何かを含んでいた。







 優しく、穏やかな風が吹いていた。

 「行くぞ…マリア」

 どれほどの時間がたったのだろうか。
 身を翻し歩き出すカオス。

 

 「ノー・ドクターカオス・もう少し・」

 

 

 「そうか…わしは下にいる。気が済んだら来るがいい」
 
 変わらぬはずのマリア、呼び声に答えぬマリア。
 それを気にも留めずに歩き出すカオス。

 

 死後の世界…あるかどうかもわからぬ中で男が家族と会えてるかどうかはわからない。
 けれど風の中を歩きながら心の中で、

 
 達者でな…小僧

 
 一度だけ、一度だけ呟いた。