彼女と一緒に、生きていきたいと思ったんだ……
ここから先の人生を……彼女と一緒に……
退魔の銀 番外編 壱
「―――――で、君はこんなところで酒をかっくらってるわけか……」
その呆れを前面に押し出した言葉は長髪のスーツ姿の男。
その彼も『こんなところで』という言葉をそこ店の店主に睨まれて汗をたらしていたりする。
もっとも、店とはいってもおでんの屋台のこと。
常連になりつつある男は店主の一睨みだけですんでいるのだが。
「うっせ〜西条……親父!! もう一杯……」
ほろ酔い……とはもはや言えないだろう。
完全な酔っ払いのとるアクションで店主に酒を要求する男は西条と同様にスーツ姿なのだが、どこか草臥れた感じがするのはそのスーツが安物だからだろうか。
トポトポトポ……
もうこの男には飲ませないほうがいいのかもしれないが、西条と同様に常連となっている男は『親父!!』と言いつつも自分で手酌する始末。
それを知らんふりで新聞を読んでいる店主、認めているのか。
それどころか見向きもしないし動きもしない。
「そのペースで飲み続け、明日は二日酔いになり、また機を逃して再度飲みに来る……全く、学習しないな……君という男は」
呆れを更に強くし独り言のように……そこに苛立ちが滲んでいるのを口にした本人は気づいているのか。
そう言いつつも、付き合い続けて酒を飲むことから西条が男を気にかけているのがわかる。
「うるへ〜!! 今日の俺は違うどぉぉぉっっ!!! これは景気づけじゃい!! 今日こそはっ!! ………今日こそは言ったるんじゃぁぁぁぁ!!」
ゴクゴクと体に悪い酒の飲み方をしながら叫びだす男を横目で見ながら西条もコップを傾ける。
安い酒は次の日に残りやすいんだけどね………と心中で吐きながら。
「そのセリフ……ここで聞いたのは今月に入ってもう六度目なんだけどね」
と、これもまた六度目のセリフを同様に吐く。
懲りずに付き合っている自分に対してため息をつきながら。苛立ちの的は自分自身なのか。
「俺が悪いんやなぁぁぁい!!! 酒が!! この酒が悪いんやぁぁぁ!!」
これも六度目だろうか、もはやコップではなく日本酒のビンをラッパで飲み始めてる。こんちくしょうと叫びながら一気飲みを敢行するする姿はただのオヤジである。
いつもなら……過去五度は、この後にいきなり糸が切れたように酔いつぶれた男を西条がアパートまで連れて帰るという展開になるのだが。
「いくら酒を飲んでおどけて酔ったふりをしてみても……心の中で、どこか遠くでそれを冷静に見ている自分がいる……違うかい? そして、その冷静な自分を消そうとしても、いや、消そうとすればするほど頭が冷えていく」
男に目を向けずに素面のようにしゃべる言葉は同じように冷静だった。
もともとこの程度の酒では酔わないのかもしれない、嫌いな男と酒を飲むということを冷静に見ている自分がいる事は確か、それとも嫌いではないのか。
男に向けただけの言葉ではなかったのかもしれない。
けれど、もう西条には目の前の男の道化を演じる茶番に付き合う気はさらさらなかった。
だから必要以上に冷たい言葉を投げかけた。
「…………ふん」
それが冷や水となったわけではないだろうが、男は鼻を鳴らして静かに飲み始めた。
男が口を閉ざせばこれだけ静かになるのだなと、西条は一人ごちる。
おでんが煮える音、ラジオから流れる歌だけの屋台は寂しさを誘うものなのかもしれない。
「いつまで彼女を待たせるつもりだい? 君も24……彼女とは体を重ねる関係だ。初々しく足踏みする年を過ぎてるだろう?」
「……………」
西条の声を聞こえないふりをしているのか、おでんのなべをかき混ぜている男。
「『結婚しよう』の一言で全ては丸く収まる。おそらく三日で結婚式までこぎつけるだろうね……僕たちの周りの人間なら。いや、その日の内にということもありえるな」
そう、男と自分の周りにいる人間の事を思い浮かべる。
自分の上司を筆頭に活動的……いや、衝動的な人間ばかりが揃っている。銀座中の酒を飲みつくすなどというお祭り騒ぎでは済まないという事が簡単に予測がつくのである。
「……………」
「まぁ、君が彼女の体だけを目当てに付き合ったというのならばそれでも構わない。僕は彼女にその事実を伝え、アフターケアをする。落とすのは簡単だろうね」
沈黙で返す男にやや、性格の悪い笑みを送る。
その笑みには、その気のない自分に対するものも含まれている事を自覚しつつ、フフンと鼻を鳴らすおまけもつけた。
ガタッ!!
「てめぇ西条っっ!!………ちっ」
男は立ち上がり西条の胸倉を掴むかかるところまで迫ったのだが、安っぽい挑発に乗ってしまったとばかりに舌打ちをして席に着いた。
そしてグイとコップを傾け再度酒を注ぎ、一息に飲み干す。
そこから少し沈黙……会話をしない状態が続く。
今の騒ぎにも店主は眉一つ動かさずに、新聞に目を通しているのだが。男におでんの行方を任せているあたり、商売をする気がないのかもしれない。
屋台に備え付けられている小型のラジオから流れてくる演歌が終わる頃になって、西条は再び口を開いた。
「何を怖がっているんだ? 一人の人間の一生を背負う事かい? それともプロポーズを断られる事かい? それならばいらない心配だ。前者は紙切れ一枚を役所に出せば済む事だし、後者は文珠で押し通せばいい」
酔いのせいか普段より饒舌になっているのを自覚しながら、いささか物騒といえる事を言う。
目の前の男がそんな事を悩んでいるのではないという事と、そんな手段は使わないという事を理解しながらも。
軽口を叩くような何でもない風を装って頭を働かせる。
「ふん……さすがにその紙切れを沢山――――剃刀つきで届けられているエリートさんは言う事が違うな」
「ふっ……それは愛情の裏返しというものだよ」
ニヤリという笑みを男に返ししつつも内心は冷や汗をたらす。
手痛い、実に手痛い反撃を受けた。
思い出させてくれるな……右手の人差し指に巻いてある絆創膏の下の小さな鋭い切り傷は、何かの念が込められているのか治りが遅い。
本気で霊視をしてもらおうかと考えるほどに。
「西条……お前今まで付き合った女の顔と名前……全部覚えてるか? 名前だけじゃない……声、仕草、性格……全てだ」
「いや……覚えてはいないが」
そう自慢ではないが付き合ったというのを体を重ねて想いを通じ合ったというのならば、両手両足では数えきる事は出来ないだろう。
もちろんそれは一晩限りなんていうのも多数含まれたりするのだが。
試しに記憶を探り思い出そうとしても……二人以上前は名前すら思い出せない。
「俺は覚えてる……あいつの事を。……思い出したというべきか」
男がこちらを見向きもせずにただじっと、酒の注がれたコップを見つめる様は初めて見る姿である。 もっとも、ここまで腹を割って話した事も数えるほどしかないのだが。
「思い出した?」
あいつ……おそらくルシオラという魔族のことだろう。
敵味方同士の大恋愛の末、死に別れ……その結末は彼女の来世―――男の子供として再会できる可能性があるという、えらくややこしい関係。
あくまで可能性、確実ではない事が憎い。
人類全体が借り――――恩というべきか、負債をもっているといえる。
もっともその事実を知っているのは極、限られた人間だけなのだが。
あれからもう、7年という月日が経とうとしている。
隣の男も酒を飲みグダをまく年齢になった……自分も年を取ったということ。
「ああ……正直オキヌちゃんと付き合うようになってあいつの事を忘れかけてた……でも、体を重ねるようになって……いや、重ねるほどに……な」
「子供……か」
飲み干した酒を互いに継ぎ足しながらの会話は、だんだんと短くなっていく。
西条自身、この話題は他人事ではない。
あの時の戦いを経験した人間は少なからず踏み込んでいる話題であり、男とオキヌの付き合いを見れば苦い、苦い何かを思い出すものである。もちろん素直に祝福という念が一番強い。しかし、だからこそ忘れられない事がある。
「陳腐な言い方をすりゃあ……オキヌちゃんと結婚したいのか、その後のルシオラに会いたいのか……どっちなのかわからなくなっちまってな」
男と女が体を重ねる―――本質は生殖行為、子を成すためのものである。
今愛している女性とのそれが過去愛した女性、想いが残りつづけているかもしれない女性との再会の『唯一の』手段だということを思い出した。
愛している女性との最上の行為が、その女性を踏みにじる―――究極のジレンマ。
「らしくないな……横島君。二兎を追うものは―――なんてことを言う性格じゃないはずだろう?」
それの重さを知りつつも、分かりつつも、陽気に口を開いた。
同情なんてものを口にするわけにはいかない。その資格がある人間など世界中にいないだろう。
男同士の会話で心を決めたのは初めてかもしれないが、陽気に口を開いた。
呆れの色を薄め軽薄さを押し出した。
「……ふざけんな西条」
「両方を手に入れて……共に生きる……これぐらいの事を言えないのかい?」
言い返してくる前に更に言葉を重ねる。
押し切る……それしかない。すごく繊細で傷つきやすいな物に対してざらついた言葉。
景気付けのように、勢い付けるように酒を飲み干した。
「そんなこと……」
「違うな……手に入れて初めて分かる、失う怖さがある。君は一度それを知った……身を持ってね。君はそれを恐れている……そうだろう?」
心を抉るように発した言葉は的確に、男を傷つけている……それがわかる。
自分の言葉が酔いに任せた言葉ではないことは男に見破られているだろう。
だからこそ、傷つける。本音を出しているのだ。
「てめぇ……」
「だから『迷い』なんていう曖昧な理由と言葉で自分の感情を分からないふりをしてるのさ……彼女の――オキヌちゃんの想いも踏みにじってね」
「………違う」
「失うのが怖いから。君を思う彼女の心を踏みにじってるんだ!! 君は卑怯もバキィッ!!
「違うっ!!」
狙い通りの展開というべきか、単純な彼を褒めるべきなのか。
セリフの途中で遮るように殴られた痛みが頬にはしる。
ここが決め所……気を抜けない。
「ふん………ならば見せたまえ。その言葉と拳が嘘ではないということを証明したまえ、横島君」
「てめぇ……嵌めやがったな」
「なんのことかな? ……さぁ、彼女は『おそらく』東京タワーにいるだろう。『誰か』に呼ばれてね……いや、今頃着いたところか」
時計に目をやりつつ、ニヤリという笑みを浮かべる。
『行きたまえ』という言葉を含めた笑みと視線を男にぶつける……殴られたお返しとばかりに。
「てめえ西条!! 終わったら絶対殴るからなぁぁぁ!!」
叫びつつ走り出した男の背中に『着く頃には彼の酔いも覚めるだろう』という結論を出して立ち上がる。
「釣りはいらない。迷惑をかけたね」
懐から1万円札を出し酒ビンの横に置く。
「………毎度」
無愛想な声を背中で聞き、夜道を歩き出す。
幸いにも酔いの影響も少なく、足取りはしっかりしてるのを踏みしめる足が感じている。
『満月』『夜景』『東京タワー』『待っている彼女』『駆けつける男』
プロポーズにはもってこいのキーワード、シチュエーションだろう。
彼は今、何を考えて走ってるのだろうか……
言葉を考えてるのか? それとも自分に対する悪態か……
彼は物事に対して物怖じをするくせに、いざ対峙すると腹をくくって見事に切り抜ける。
彼に迷いは似合わない……本能のまま、思うまま駆け抜ければいい。
それが酒の力を借りたものでも、嫌いな男の安っぽい挑発からでも構わない。
まあ、なんにしろ………
しっかりやりたまえ……
彼に言葉を贈った。
赤く腫れた頬を擦りつつ歩く男を、ただ月だけが見下ろしていた。