闇にその身を沈めたとしても

この手を血に染めたとしても

やらなければならないことがあった


退魔の銀 前編


暗い夜空に満月が映えていた。
その月光に照らされて、男は笑みを浮かべた。

男の体は血濡れていて体はもう、男が長くはないことを意味していたのだが、死への恐怖や苦痛を微塵にも感じさせずに穏やかな笑みをゆっくりと浮かべていた。

公園の大木に横たわっている男の穏やかな笑みとは裏腹に周囲は荒れて、荒らされていた。
鎖の千切れたブランコに折れ曲がった鉄棒・・・・その形を破損という方向に変えた遊具とばら撒かれたような赤い血の跡は、その夜の公園で何かがあったということを表していて、男の眼前にいる動かぬ異形・・・・死んでいる黒き妖魔はそれが戦闘だったと語っていた。

勝敗の結果は相討ち―――引き分けだろう。
死んでいる妖魔と同様に、男の命ももたない事は男自身がよく解っていた。

それを知りつつも、その事を理解しつつも男に浮かぶ笑みは穏やかだった。
変わらずに穏やかだった。


彼女と―――氷室キヌと結婚したのは24の時。

私もあなたと…生きていきたいです

俺の飾り気のないプロポーズの言葉に涙と笑顔で答えてくれた。
俺もあいつと生きていきたいと思った。


子供が生まれてその娘に【蛍】と名前をつけたのはオキヌだった。

あの人も・・・あなたと一緒にいたいだろうから・・・名前だけでも 

出産後の柔らかな笑顔とその言葉に、涙が止まらなかった。
俺の奥さんは世界一で俺は世界一の幸せ者だって、心から。

ルシオラは転生しなかった。
残念なような、ホッとしたような安堵が混ざった中途半端な想いもオキヌは受け止めてくれていた。
彼女の胸で泣いた事、彼女の涙を受け止めて。
二人を幸せにしてみせるってあいつに誓ったんだ。


一つ、蛍には霊能力が備わっていた。
膨大な霊力・・・・俺たち二人分の。

俺の霊力もオキヌの霊力も娘に―――蛍に受け継がれるように消え去っていた。
文珠はおろか霊波刀も創れない一般人並みの霊力。
オキヌも同様にネクロマンサーの能力もヒーリングも出来ないほどに力を失っていた。

けど、それでもよかった。
GSという職に未練がないわけではなかったが、それにしがみつき縛られるほどの執着があるものでもなかったから。
蛍の霊力は封印してもらい、普通の家族、普通の家庭、普通の暮らしができるならそれでもいいと。
GSでなくたって二人を守ることは出来るって思っていた。

賑やかで、緩やかで、穏やかな生活だった。
蛍の一挙一動に一喜一憂し、娘の成長を見守った。
それにやきもちを抱くオキヌをなだめるのも、その暮らしを彩るものだった。
陽だまりの生活…そんな言葉が当てはまる。

それを仕事から帰宅途中の携帯が打ち切った。

『横島君!?落ち着いて・・・・落ち着いて聞いて!!』

昔の雇い主の声はひどく慌てたものだった。
そこからは断片でしか電話の内容を覚えていない。

GS協会で賞金首として登録されていた妖魔を、オカルトGメンと複数のGSが共同作業で殲滅、封印をしていた時に妖魔が結界を破り逃走。
傷を負い、力を消耗していた妖魔の回復手段は餌を喰らうこと。
その食い物の霊力が強ければ強いほど、妖魔を惹きつけた。

封印したとはいえ常人以上の霊力をもつ赤子はそれの最たるもの。


黒き妖魔は公園で遊んでいた母親と幼子を・・・・喰らった。


その後に受けた説明や見せられた書類はほとんど頭の中に入らなかった。
その妖魔の姿形や能力の情報以外は。


二人の遺体の無い葬式は静かに終わった。
その人の価値は葬式でどれだけの人が涙を流してくれるかで決まる…そんな言葉がふと、胸をよぎった。
みんな、泣いていた。
けれど俺は涙を流さなかった。二度目だったからだろうか、大切な人を亡くすのは。

オキヌの義理の父親と義理の姉に、彼女の燃やせずに残った遺品を全て渡した・・・・彼女の生きた証を託すように。

泣かない俺を、俺以上に悲しそうな目で見つめる義理の父親に一度だけ頭を下げた。
振り返らずに歩き出した。

1人の親友・・・いや、旧友に一つの事を頼んだ。
こんなことを頼む俺はもはやあいつにとって友ではないだろう。


俺を噛んでくれないか?


霊能もないただの人間に出来ることは高が知れていた。
ならばそのただの人間を捨てるだけのこと。

例え人の身を捨て、闇に身を堕としたとしても。


友は渋った。
他の二人の友も俺を止めた。

その目的を果たした時に、果たした先に残るものは何もないから。
闇に身を堕とした人間は戻る事はない。


僕の力を・・・あなたを破滅に向かわせるために使う事は出来ない


そう、搾り出すように言う友の姿が、俺が今捨てようとしているモノの重さを自覚させた・・・・けれど。


頼む・・・・ピート


不思議と声を荒げる事もなく言えた言葉に、友は俺にその能力を使った。

期限は一週間です…



そう、涙を流しながら去っていく友の姿を見つめながら小さく呟いた。

悪いな…

一言だけ呟いた。