古人曰く、『兵は神速を尊ぶ』
 兵――戦力の運用には速さが重要である。
 
 この言葉ではないが奇襲というものは有効な手段である。
 相手に気づかれぬように包囲網を狭めていけば、更に有効性は増す。

 百獣の王ライオンも狩りの時は、必ず相手を仕留めるという距離までは手は出さない。
 少しづつ、少しづつ、距離を詰めるのである。

 

 

それは一通の手紙から始まって……
 
IF 若菜END?

 


 結局あの手紙の差出人は若菜だった。

 卒業式の後に連行……もとい呼び出された俺は、頬を赤く染め、俯きがちな若菜にその事を告白された。
 自分の幼い頃からの境遇、綾崎家を継ぐ人間として厳しく育てられてきた若菜にとって俺は唯一の『ただの若菜』として扱ってくれる存在だったという。
 そして幼い頃に、俺を蔵の中で縛った時に得た充足感が忘れられずにいたらしく、何度綾崎家の権力を使って俺を拉致しようとしたかわからないらしい。
 尤も、その作戦は事前に様々な邪魔が入ったため、成功することはなく、俺は高校3年まで無事に暮らせたというわけである。

 再会した後の若菜の行動は迅速だった。
 
 政界にまで通じるとされる綾崎家の力をフルに使い、いつの間にか俺の名前を山田太郎から綾崎太郎へと変えていたのである。
 俺がそれに気が付いたのは卒業式での卒業証書授与で自分の名前を読み上げられた時だった。
 

『赤井翔太……朝倉道夫……吾妻健二……綾崎太郎……』

「誰?………まさかっ!?」


 聞き慣れぬ……聞き慣れたくはない苗字へと、自分の苗字が変わっていることに気が付いた時、俺は全てを悟った。

 外堀と内堀どころか、全てを埋められているということに。

 百獣の王の射程距離内に入り込んでいたことに。

 その瞬間の俺の行動は迅速だった。
 
 卒業式の途中の体育館を抜け出し、教室に戻って自分の鞄を持ってくる。
 おそらくは俺の行動を読み正門で待ち伏せをしているであろう綾崎家の使いの者を出し抜くためにグラウンド側のフェンスを乗り越えて学校を脱出。

 だが敵は、俺の計算の更に斜め上をいっていた。

 若菜は俺の自宅で親父とお袋と一緒にお茶を飲みながら団欒をしていた。
 「いやですわ義母様」などと穏やかに微笑む彼女と「いや〜太郎にこんないい娘さんがいるなんて知らなかったなぁ〜、なぁ?母さん」と頬を緩ませる自分の親父の姿を見て、逃げ場はないことを悟った。
 
 いつの間にか自分の部屋の荷物が全て運び出されていることが、更に拍車をかけた。

 「お帰りなさいませ、太郎さん」という声を聞きながら、ああ……終わったと俺は静かに呟いた。

 そのまま京都へ連行された俺は、その日の内に若菜に全てを告白された。
 今の現状を鑑みて見れば全てが納得……というよりそれ以外考えられないことばかりだったので、それほど驚きはしなかった。
 
 だが一つだけ、驚くというより恐怖に震える出来事があった。
 目の前にある。 

 沢渡ほのか、山本るりか、永倉えみる、安達妙子、森井夏穂、杉原真奈美、七瀬優、保坂美由紀、遠藤晶、松岡千恵、星野明日香……


 11人勢ぞろいである。


「さぁ、太郎さんは晴れて、綾崎太郎となったのですから……この方たちとの関係を清算していただかないと……」


 そう穏やかに言って背後で弓を構えている若菜。
 恋敵の11人の女性に向けているのか、俺を狙っているのか分からないのだが。というより若菜、君のキーワードはオルゴールではなかったか?


 キリ……という弓を構える音が背後で聞こえる。

「そっ、そんな……太郎君……私と同じ大学に通うんじゃなかったの!?」

 顔を青ざめながらのほのか嬢。
 どうでもいいことなのだが、君達のせいで大学はおろか卒業すら危うかったんだが……


「ダーリン……嘘だよね? 嘘って言ってりゅん!!」

 半べそをかきながらのえみりゅん。右手には何故か藁人形を握り締めている。
 そういえば最近妙に心臓が痛くなる時がなかったろうか。


「太郎……もう、お店の名義を太郎の名前に変えちゃったよ?」

 背後に弟の純を控えさせている妙子。
 「義兄ちゃん……」と呟いている純の目が痛い。


「ピーちゃんも寂しがってますよ……」

 ベジタリアン真奈美。カラスのピーちゃんを肩に止まらせている。
 ピーちゃんて雀じゃなかったか!?


「君ともっと旅をしていたいんだ……」

 透明な雰囲気の優。
 よく考えれば行く先行く先で優と再会していたな……

 

 他6名、様々な手段で俺の良心を抉る彼女達。
 背後で弓を構え、俺の背中を抉ろうとする若菜。

 

 ああ、俺の心の旅は終わらない。

 

 

 

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