【酒は飲んでも飲まれるな】とは古来から日本に伝わる言葉である。
 おそらく酒を嗜む成人以上の人たちは一度は聞いたことがあるだろう。
 意味はまあ、自分を失うほど酒を飲んで酔っ払わないこと―――端的に言えば飲みすぎ注意ということである。

 もっとも、その言葉を知りつつも、理解しつつも、無茶な飲み方をしてから次の日に後悔するという人間も多いのではないだろうか。

 ここにもまた一人、そんな男がいたりする。

 

 

酒は飲んでも?

 



―――――さん……おさん……さい

 暗闇から声が響く、そしてひどく頭痛がする。


―――――忠夫さん、起きて下さい

 鮮明になってくる呼びかけ……聞きなれた声。

 

「忠夫さん、もう朝ですよ? 起きて下さい!」

 (ああ、この声はオキヌちゃんか……わざわざ起こしにきてくれたんだ)

 眼を明けた横島の頭上におキヌの顔。寝起きに見るのにこれほどいいものはないだろう。
 頭痛に体中のだるさ―――二日酔いと眠気の混ざった頭の中でニヤリと笑みを浮かべつつ、布団の中でモゾモゾとしながら挨拶を交わした。
 自分の声で頭痛を引き起こしながら。


「あ、オキヌちゃんおはよ〜〜……頭いてぇ〜〜」

「もう、飲みすぎなんですよ……いつまで飲んでたんですか?」


「ははは……それが全く覚えてないんだよね」

「もう!! いくら久しぶりだからって……」


 一つづつ説明していこう。
 まず時間は朝、AM 8:00で場所は横島のアパートである。横島は21歳、オキヌは20歳になっていた。
 横島の親友3人―――雪之条は弓かおりの家に婿入りして闘竜寺のGSとして、ピートは念願のオカルトGメンに合格し、タイガーは小笠原除霊事務所の正社員としてそれぞれの道を歩んでおり、昨晩は約一年ぶりに4人で集まり酒を酌み交わしたのである。
 ちなみに横島は美神除霊事務所でそれなりに給料は上がったが、未だ薄給で頑張っていたりする。


「全く……今日は久しぶりのデートなのに……。起きられますか?」

 頬を僅かに膨らませながら不満、呆れ、苦笑、心配などなどの様々な感情を絶妙に織り交ぜ、ブレンドしつつ横島の脱ぎ散らかした服を片付けていくおキヌ。
 その手馴れた様子を見る限り、こういうこと―――横島の部屋の片づけをしたのは一度や二度ではないのだろう。

 そう、二人は付き合って……恋人同士の関係なのである。

 おキヌが高校を卒業した日に横島に告白し、横島がそれを受け入れて今に至る。が、そこまでの過程―――特におキヌ側の……というより女性側では様々な策略、謀略、その他もろもろの一筋縄ではいかないような場面と展開もあったりしたのだが、ここでは割愛させていただく。

 ちなみにおキヌも晴れてGSの免許を取得し、美神除霊事務所の正社員になっていたりする。
 給料は横島のウン倍だったりするのは所長のあてつけなのかどうかわからないのだが。

 とりあえず付き合って約2年が経過し、このまま行けば結婚するのではないかという流れの中にいる。
 まあ結婚という事態にになったらなったでおキヌ側の……というより女性側で〜〜以下略〜〜のは想像に難しくない、というよりそうなるだろう。

 まあ今は今で楽しんでいるおキヌと横島である。


「うぅぅぅぅ………何とか……ん?」

 そう言いながらも起きようともしない横島。
 この男はこの男でおキヌに構ってもらえるのが嬉しいため、わざと起きようとしない節もあるのだが、布団の中でモゾモゾとしていると右肩―――体の右側に何か当たる感触があった。
 大きさは人のサイズぐらいだろうか、横島よりは小さいが、それなりの大きさの物が布団の中に、自分の隣に眠っている事に横島は気が付いたのだがそれを布団をめくって確かめようとはしなかった。
 それは横島の狭いアパートの部屋の無駄にスペースをとっているオブジェ―――赤い象や緑の蛙、果ては白いタキシードを着た髭の老人がその答としてあった。

 つまり……

 (うぅぅぅ……酔った勢いでまた人形拾って(盗んで)きちまったか……おキヌちゃんにバレるとうるさいからこのまま隠しておいて後で捨ててこよう……うぅぅぅ…眠い)

 ……というわけである。

 その時に布団をめくって確かめていれば、その隣にあるものが人肌の温かさであることを、人形にしてはまるで人のような柔らかさだということを、隣から吐息のような音が聞こえていることを普段の除霊時の動物的な超感覚で察知していれば、おそらくはここから先の展開には流れなかったのかもしれない。
 二日酔いで感覚が鈍っていたこと、それプラス眠気で体を動かすことすら億劫になっていたことが決め手になった。


「もう……とりあえずもう少しでお味噌汁ができますから待っていてください」

 そんな横島の様子と邪まな考え(洒落ではない)を探る気配も見せずにおキヌは片づけを続け、はたまた味噌汁の準備まで済ませてあるという良妻……もとい良彼女ぶりを思う侭に発揮していた。

 床に脱ぎ散らかしてある横島の昨夜着ていた上着―――ジャケットを手に取りハンガーに掛ける。そしてそのままだと型崩れするために中の貴重品……携帯電話や財布を取り出そうとしたところ、財布と一緒にマッチが一箱出てきた。
 一箱といっても厚紙を折ったタイプの平たく薄いマッチケースであり色は濃い緑色。ちなみに横島は煙草は吸わない。

 そしてそのマッチ箱にはある店の名前が書かれていた。

 魔法料理 魔鈴 と。

 魔法料理魔鈴はいわゆるレストランである。現代の魔女と称される魔鈴めぐみが簡単な魔法技術―――薬草やら何やらを使って料理を提供するお店であり値段のリーズナブルさと、その反面のおいしさということで人気が高かったりする。
 おキヌや横島も個人的な知り合いで何度もその店を利用しており、お気に入りのお店の一つだったりするのだが。


「忠夫さん……昨日の雪之丞さん達とのお食事はどこでしたんですか?」

 彼女の……いや、部屋の空気が変わった。横島はぬくぬくの布団の中に潜り込みながらも、それだけは察知できた。逃げる事はできないのだが。


「えっ………ま、魔鈴さんのところだけど……何かあったの?」

 こちらに背を向けているおキヌの表情を窺い知ることはできない。
 けれど背中が揺らいでいるように見えた。ゆらりとオーラのような水蒸気が立ち昇っているのを布団で顔の下半分までを隠しながら確認し、瞬時に顔全体―――視界を布団で塞いだ。

(お、お、おキヌちゃんの背中から勝身煙(おキヌの嫉妬オーラが高まり、その全てを横島に対して本気でぶつける決意をした時に立ち昇る水蒸気のようなもの)が!?!? 待て、待て、待て俺。何かやったか!? いや、魔鈴さんとこならおキヌちゃんも何回も行ってるし何の問題もないやないかぁぁぁ!!)

 目前の恐怖に瞬時に酔いが醒め、昨晩の自分の行動を思い出そうとするのだが、酔って記憶を失った部分を思い出すのは容易な事ではないだろう。
 現に思い出せることは魔鈴めぐみの店で貸切という形でどんちゃん騒ぎをしたということのみ。
 「西条の髪が薄くなってきた」やら「義理の親父のいびりがうざい」やら「マリさんの暴力が年々酷くなる」などと、近況報告のようなものをしながらにぎやかにやっていたことまでは思い出せるのだが。

 

「また来てくださいね。横島さんには沢山サービスしちゃいますから(はーと」

 低く、おキヌの声が一段低くなり、横島の質問とは的外れの言葉を口にした。
 同時に部屋の温度が3度ほど下がった気がした。
 現に横島は布団の中にいるのにもかかわらずガタガタと震えだしている。まあ寒さだけが要因なわけではないだろうが。

 背を向けているにもかかわらず、いや、背を向けているからこその無言という重圧がその部屋を支配していた。


「あ、あ、あの……おキヌちゃん? い、いったい……」

 布団が鎧と盾の役目を果たしているわけではないだろうが、横島は勇敢にもその無言の重圧に立ち向かった。
 村人Aの勇気を振り絞り。

 おキヌはふわりと身を翻した。
 まるでシャンプーのCMのような振り返る時の黒髪の踊る様に横島は目を奪われた。
 
 同時におキヌの笑みの色を深くした顔に目を奪われた……というより見据えられた。

 彼女は右手にマッチを、左手には一枚の白い紙切れを握り締めていた。潰さんばかりに。

 そしておキヌは腰を下ろし、亀のように首から上だけを布団から出していた横島の顔の前に一枚の紙切れをつきだした。

 


 
また来てくださいね。横島さんには沢山サービスしちゃいますから(ハート 魔鈴

 

 
 
 女性特有の綺麗な文字で書かれたその白い紙切れはマッチケースの中に綺麗に折りたたまれていたのだろう、折り目がついていた。
 それだけだったらただのお得意様に渡す手紙ですむだろう。おキヌがこれほどの勝身煙を出す理由にはなるまい。

 それは名前の下につけられた唇の痕―――キスマーク。
 白い紙に薄桃色が映えていた。

 その唇の痕がおキヌの勝身煙の―――戦う理由だった。

 横島は震えていた。うつ伏せで布団の中にいる自分の顔の前に正座しているおキヌの笑顔は深く、曇りがない。
 自分を見下ろし、見据えている彼女の視線は『起きろや……』という意志がふんだんに込められていたのだが、体を動かすことはできなかった。

「どこで、誰に、何のサービスを受けてきたんですか?」

 一言一言区切った言い方は区切るごとに声のトーンが下げられていった。

(どっ、どういうことだ!? 俺は昨日魔鈴さんに何かサービスを受けたんかっ!? あんなことやこんなこともっ!? 何で覚えてないんだもったいない……い、いや違う! 身に覚えのないサービスッ!? 大体あんな紙切れってかマッチなんかもらった記憶もないぞ!? )


「い、い、い、い、いや誤解だよおキヌちゃん!!昨日は雪之丞たちだっていたんだし何もしてないってっ!!」

 その弁解、言い訳は雪之丞たちがいなければ何かをしたという論理になるのだが、それに気が付かずに必死に目の前の干支忍……もといおキヌに説明する横島。
 己の記憶が無くなっているという時点で、どんな理論で弁解や説得、言い訳をしたところでそれには説得力のせの字もないということにも気が付いていない。

(覚えていないサービスなんて無効だ!! ノーカウントだっ!! 俺に疚しいことは何もないっ!!)

 こんな理論武装の時点でダメダメな気がするのだが。

 

 ピンポ〜ン

 

 アセアセと弁解をしていた横島にとって休憩のゴングならぬ来訪者を知らせるインターホンの音。現におキヌからの圧迫感、威圧感は緩んだ……一瞬だけ。

 

「横島さん、起きてますか? 約束通り今日は買い物に付き合ってくださいね?」


 鍵が掛けられていなかったのだろう、応対する間もなくドアを開けて部屋に入ってきたのは魔鈴めぐみだった。
 ちなみに本日は火曜日、魔法料理魔鈴は定休日だったりする。

 おキヌの威圧感が戻った、否、増した。
 ピリピリという空気の奔る音すら聞こえてきそうな部屋に、横島は布団を深くかぶることしか出来なかった。
 あ〜布団って暖かいなぁ〜などという呟きを聞く限りでは現実逃避という行動にしか見えないのだが。

 

「あら、おはようございます、魔鈴さん。昨日は忠夫さんがご迷惑を掛けたみたいで……」

 「忠夫さん」という横島に対する呼び方で会話のイニシアティブを握ろうとするおキヌ。
 最初の魔鈴の買い物に付き合う云々という話はスルー……踏み倒す勢いである。


「いえ、そんな気にしないで下さい。大切なお得意様なんですから……」

 それに対し迷惑を掛けたことは否定せず、『大切な』の部分を強調する魔鈴。
 両方とも笑顔、柔らかく深い微笑みという矛盾の混じる表情でガンをつけあっているというのが正しい状況だろうか。

 外の陽気は晴天、窓からは柔らかな日差しが横島の部屋にも入り込んでたりするのだが、そんな太陽の力すら無効化するほどの寒々しさ……凍てつく何かが部屋の体感温度を下げていた。下げ続けていた。

 


「あっ、そういえば魔鈴さんのお店から忠夫さんがマッチを持ってきちゃったみたいで……はい、忠夫さんも私も煙草は吸いませんからお返しします」

 そう言って手に持ったマッチケースを魔鈴に手渡すおキヌ。
 ここには置いておきたくない、ここには必要ないという意味を非常に色濃く含ませながら、微笑を更に一段深くする。
 そのマッチケースには先ほど問題になった白い紙切れが挟まれていたりする。
 余計なものを……と呟くのが聞こえたりするのは空耳だろうか。


「そうですか……いつか必要になるかもしれませんけど。とりあえず預かっておきますね」

 それを確認しながらも余裕の微笑を浮かべる魔鈴。
 これが横島の目に届かぬままならいざしらず、それどころか楔を打ち込むことに成功しているからなのかどうかは定かではない。
 どちらにしろおキヌの勝身煙をみて顔色を変えずに微笑みを浮かべている時点で年上の余裕が窺える。只者ではあるまい。

 もはやピリピリという生易しいものではなくバチバチという火花の散る音が聞こえ始めている。



 先手を打ったのはおキヌ。

「ごめんなさい、魔鈴さん。何か用があるのかもしれませんけど私達これからデートに行くんです。だから出直してもらっていいですか?」

 (訳、これからデートなんです!!あなたの入る隙間は一片たりともありません。おととい来てください!!!)


「あら? そうだったんですか……残念です。横島さんは昨日何も言っていなかったからてっきり今日は空いているかと……おキヌさんのこと忘れられていたんですね?」

 (訳、あら、男に忘れられている女が何を言っているのかしら? 要するにおキヌさんより私のほうが優先度は上ってことですね)

 魔鈴も負けずに切り返す。
 
 穏やかな会話の裏に隠された意味。
 まるで笑顔でテーブルの下では銃を突き付け合っているマフィアのような会話なのだが、このままでは不毛な時間が増えるだけだろう。

 時間とて無限ではない。

「忠夫さんは多分、私とデートに行くつもりだと思いますけど……」

「横島さんは確かに今日は私の買い物に付き合うって言ってましたよ?」

 要するに横島に選んでもらおうという流れになるのは自明の理である。
 両者とも自分が選ばれないとはつゆとも考えていない。


―――勝負


 お互いに呟きあって布団に潜る横島の前に陣取った。
 両者とも正座で。
 『起きろ……そして私を選べ』というナイフのような鋭い視線を突き刺す。
 それが村人Aの持つ布団という名の鎧と盾を貫くのは赤子の手をひねるようなものだった。


 
 (あぁぁぁぁぁ!!! どうしたらいいんじゃぁぁぁぁぁ!!! 何より魔鈴さんのサービスを覚えていないというのが惜しいっ!! いやっ、最近のおキヌちゃんはサービスが足りんからだっ!)


「う〜〜〜ん……」

 と、てんぱっている横島の隣で声がした。
 女の声が。
 もっともてんぱり中の横島は気が付かないのだが、横島の言葉を一言一句聞き取ろうとしているおキヌと魔鈴は某エースパイロット張りの反応速度で聞き取った。


「「!?」」

 
 二人は高度なコンビネーション―――まるでシンクロしたかのような息の合った素早い動きを見せ、横島の掛け布団を引っぺがした。

 そこには

 「うぅぅぅ……どうしたらいいんじゃぁぁぁ……」

 Tシャツにトランクス姿で頭を抱えて唸る横島と


 「う〜〜〜ん……おはようございます、横島さん」

 隣で横島のTシャツを握りしめながら目を覚まし、横島に朝の挨拶をする花戸小鳩


 二人の姿があった。

 ちなみに小鳩は下着姿であった。

 「横島さん……昨日は……素敵でした」

 頬を赤らめつつそんなことを言う寝起き美少女。


 おキヌと魔鈴、二人の静かな怒りの火が合わさり、炎となった瞬間だった。

 

 

 結局両者とも、その日はデートをしなかったらしい。