「俺はどうやって……どうやってあいつに会えばいいんすか!?」

 止まらない。感情が、想いが止まらない。際限なく噴出す黒い感情を止められない。

 

隠者  3話

 

「っく――――ふざけるなっっ!!」

 横島の怒声が事務所内に響いた。
 普段荒げる事の無い男の声が。

 そこにいるのは横島、美智恵、令子、オキヌ、小竜姫、ワルキューレの6人。

 美智恵のお腹に新しい命が宿ったことがわかり、その話題に花を咲かせていた時だった。

 その場にふさわしくない―――――異質な怒鳴り声
 何かを堪え切れぬように、横島は激情を張り上げた。


「どっ、どうしたの? 横島君、いきなり怒鳴ったりして……」

 横島以外の5人とも揃って疑問の表情を浮かべていた。

「隊長……あんた、知ってたんすか?」

 何でもない問いかけのように見えた。それどころか意味すら通じない簡潔な言葉。
 静かな、冷たい口調ゆえに、それと反するように言葉に込められた意味は重い。

 
 横島のその答えを知りつつ、ただそれを確かめる為の言葉には感情が込められていた。

 そして美智恵をただ、見つめていた。

 まるでその部屋には美智恵と横島の二人しかいないように。


「……………………………」

 美智恵には沈黙でしか答えを返すことが出来なかった。
 答えを知らないわけではない。答えられない……口に出来ない。強いて言うなら沈黙こそが答えだった。

 美智恵の沈黙は肯定の意味を持っていた。

 ―――知っていた、知りつつも傍観していた

 ―――それが最善、あれしかなかった

 指揮官としての美神美智恵には言えたかもしれない。
 しかし、今ここにいるのは母親の美神美智恵だった。

 雷と共に時を越え、戦いに駆けた美智恵ではない。長女と再会し、新たな命をその身に宿した母親の美智恵だった。

 罪悪感というものが美智恵の冷徹さ、鋭さを濁らせていた。

 幸福感というものが美智恵の口を開かせなかった。



「よ、横島さん……いったい」

 美智恵を睨む横島の目、それに込められた感情。
 静かな怒りに染まった横島を見慣れぬおキヌは戸惑いを浮かべる。

 二人にだけ通じているような会話にもならない視線の応酬はおキヌの知らないものだった。
 
 彼女には分からない。
 全てが終わったと思っていた。

 明日から、いつもの日常に戻るだけと考えていた。


「さぞ、滑稽だっただろう!? 最後には守りきれない女の
最後にはてめえの手でトドメを刺すことになる女の……ルシオラの為に戦う俺はっ!! 全てを知って、眺めてるあんたにはさぞ、滑稽だっただろう!? テレビでスパイとして俺の顔が流れて………無駄な事をだなんて思ってたんだろ!? あんたは新しい絆を手に入れた……俺は全てを手放した!! 自分のこの手でだ!! ルシオラが……俺が何をした!! あいつはただ精一杯生きたかっただけだ!!! 俺はルシオラを助けたかっただけだ!!」

 心の壁から溢れ出るように流れ出す言葉。
 真摯で真っ直ぐな彼の感情。

 尽きることの無い後悔と悲しみ。

 全てを美智恵にぶつけていた。
 それは怒鳴り声というほど大きな声ではなかった。どちらかというと今にも泣きそうな声。


 それだけに横島の心情が込められていた。



 
 元々一人の女のために始めた戦いだった。
 
 敵として出会って女を助けると誓った。 


 初めて強く、自分から強さを求めた。
 自分に惚れてくれた女のために、自分の強さを信じてくれた女のために。


 その女に男を見る目があったということを証明する為だなんて自分自身のプライドも混じった理由だった。


 東京タワーの上で大丈夫だと微笑みを浮かべた女の言葉が、嘘だという事を途中まで気が付かなかった。


 
 焦りと恐怖の戦いの最中に、いつの間にか世界と女を握り締めていた。
 握り拳ほどの大きさの天地創造の鍵は女を甦らせる鍵でも合った。


 
 ――――誰か他の人にやらせるつもり? 自分の手を汚したくないから


 自分の中から聴こえる……脳に響く女の声が決断を迫った。
 ここから逃げられるなら、それでもいいと思った。


 
 ――――私一人のために世界を犠牲になんて出来ないでしょ?


 悲しみや辛さを微塵にも感じさせない、むしろ優しさと微笑みが混じったような女の声に涙が出そうになった。
 自分は彼女に何もしてあげていないのに、彼女は1年も生きてはいないのに。


 けれど

 
 ――――約束したでしょ? アシュ様を倒すって……

 
 魔神を倒す……彼女と交わした約束だった。
 それだけは破りたくなかった。


 月明かりの下で交わした約束を。



 世界をとった。
 

 後悔するならば……自分を奮い立たせる為に、そんな言葉しか思い浮かばなかった。



 手放してから初めて、それが本当に大切なものだったことに気が付いた。
 自分の体から遠ざかり、霧消していく彼女の想いがそれに気づかせた。


 自分が選択した答えに、自分の馬鹿さ加減に気づかせた。
 

 全てが終わっても彼女は戻ってこなかった。


 




 令子からルシオラが自分の娘に転生する可能性があることを教えられた。
 彼女とまた会える可能性があることを知った。

 けれど、認められなかった。そんな結末を認めることは出来なかった。


「これのどこが……どこがハッピーエンドだっ!?」

『とりあえず……これでハッピーエンドってことにしない?』


 転生して生まれ変わったルシオラに愛情を注ぐ。娘として。
 美神令子が言った言葉だった。


「横島君………」

「…………………」

 美神令子が言うには他人事過ぎる言葉だった。
 誰も、何も言えない。美智恵も小竜姫もワルキューレも。

 横島忠夫は人である。神族でも魔族でもない。

「あいつに会いたければ誰かに頭を下げろって? 俺の元恋人を生んでくださいって。それで……それで誰が幸せになれるんだよっ!?」

 全てが歪んで見えた。
 
 新しい妹の事を笑顔で話す美神令子が。
 夫との生活を照れながら語る美神美智恵が。

 神魔の最高指導者と口にする小竜姫が、ワルキューレが。

 変わらずにあり続ける世界が。

 歪んで見えた。

 感情と想いが愚直過ぎたから、目を逸らせなかった。

「俺はどうやって……あいつに会えばいいんだ!?」



 止まらない。感情が、想いが止まらない。際限なく噴出す黒い感情を止められない。
 美智恵を過去へ送り出した。それまでは何も無かった。

 全てを心の中で受け止める気でいた。
 決めたのは自分、選んだのも自分。痛みと共に生きようと思っていた。

 けれど。

 新たな命をその身に宿らせた美神美智恵の幸せそうな笑顔。
 それまでの指揮官としての厳しさを失くし、性格すら変わり、母親となっていた美神美智恵に。

 
『細かい事は気にしちゃダメ』

 おどけた笑顔で娘に言う美神美智恵に。

 全てを傍観されていたと思うと、我慢できなくなった。我慢ならなかった。

 彼女と過ごした日々すらが美智恵の手のひらで踊っていたようで。
 何もかもが計算されていたようで。


 我慢がならなかった。


『これでハッピーエンドってことにしない?』

 それで片付けようとする美神令子が怖かった。
 
 ルシオラがいなくても変わらずに進んでいく世界が怖かった。


「横島さんそれは……」

 転生という機会を待つしかないと言おうとする小竜姫。

「神族は黙ってろっ!!」

 口先だけの言葉などいらない。ただ拒絶した。
 正しく『関わっていないもの』が口を出すなと、線を引いた。


「なあ……俺はどうやってあいつに会えばいいんだ? どんな顔であいつに会えばいいんだ?」」

 美智恵に弱弱しく掴みかかっていた。いや、掴みかかるというよりもしな垂れるように。

 泣きそうな顔だった。けれど泣いていなかった。ただ、顔を歪ませていた。