幸福の食卓とは何だろうか。
料理の値段、味、雰囲気、相手……それの要素は様々である。
古人曰く、空腹は最高の調味料である。
古人曰く、料理は愛情。
突き詰めて考えてみると、お腹が減っていて、作り手の愛情が込められた料理ならば満ち足りた食卓と言えるのではないだろうか。
幸福の食卓
「横島さん………あ〜〜ん」
そう言って上目遣いで口を開けているおキヌ。
まるで親鳥から雛が餌をもらおうとしてるようなポーズ。
ピヨピヨとかわいい鳴き声が聞こえてきそうである……が、そのポーズのかわいさとは裏腹におキヌの目は笑っていない。
そして、その後ろに立っている魔鈴の目も同様に笑っていない。
魔女ルックにエプロンというアンバランスな格好が、彼女の魅力を引き立てているにもかかわらず。
昼時の魔鈴の店―――魔法料理【魔鈴】の割には客は横島とおキヌの二人だけだった。
この雰囲気に中てられ食事の途中にも関わらず席を立って店を出る客、ドアを開けて入る前に引き返す客。
孤立無援という言葉が一番あっていた。
何が悪かったのか。
おキヌとのデートの昼食に魔鈴の店を利用した横島が悪いのか。
(なぜか)横島の頼んだ料理は15分ほどでかなりのサービス(おまけ)をされて出てきたのに、おキヌの料理は出てくることはおろか、おキヌの分のお冷、コップすらテーブルに出てこないという状況が悪いのか。
ちなみに横島にだけはサービスということで冷たい紅茶が無料で振舞われていたりするのも一つの理由だろうか?
いつまでたっても来ない料理に痺れを切らしたおキヌが横島の料理を一口、ア〜ンという形でもらおうとしたことが悪かったのか。
前門のおキヌ、後門の魔鈴という状況は横島にとって危機という言葉すら生ぬるいもの。
料理をおキヌにあげることは吝かではない。だがア〜ンはまずい、ということだけは直感で理解していた。
「あ、あのさ、おキヌちゃん。料理はあげるから普通に食べない? ねっ? 何か恥ずかしいからさ」
せめて……という横島の言葉におキヌの背後の魔鈴が柔らかく微笑み、おキヌは「ギヌロ!!」という音をたてながらで横島を睨み付ける。
上目遣いで睨まれる……メンチを切られるというという言葉が適当だろう。
「何恥ずかしがってるんですか? 私達付き合ってるのに……それに私達以外お客さんなんていないじゃないですか」
確かに他の客はいない。
わざとらしく周りを見渡すおキヌ。日曜のお昼なのにお客さん少ないですねと付け足して。
頬を膨らませて拗ねる様は年季が入っている。
背後の魔鈴の眉毛がピクリと一度だけ動いた。微笑んだままで。
ちなみに横島たちがここに来た時は、来るまでは家族連れやカップルで賑わっていた事を追記しておこう。来るまでは。
「そ、そうだけどさ……あっ、魔鈴さんおキヌちゃんの料理ってまだ時間掛かりますか?」
とりあえずおキヌの料理を早くもってきてもらうしかあるまいと、もう何度目かわからないことを訊く横島。
「今、作ってますからもうしばらくお待ちくださいね? おキヌさん」
こちらも何度目かわからない答えだったりする。
ちなみに魔法料理【魔鈴】は魔鈴自身がオーナー兼シェフ兼ウエイトレスだったりする。
バイト等は雇ったりしていないので魔鈴がここにいる=料理を作っていないという公式が成り立つ。
つまり魔鈴がここにいる限りはおキヌの料理は出てこないわけである。
まさか使い魔の黒猫に作らせた料理を食べさせると言う事はあるまい……多分。
それなのにニコニコと横島の食べる様子を眺めている魔鈴。動く気配はない。
「ゆっくり作ってください、魔鈴さん。私は忠夫さんから一口もらいますから大丈夫ですよ?」
このやり取りも同様に何度目なのかわからない。
横島→魔鈴→おキヌという言葉のキャッチボールを繰り返している。
「ごめんなさい、おキヌさん。今注文が立て込んじゃってまして……」
繰り返すが、今この店にはおキヌたち以外の客はいない。
この言葉におキヌの目が光った。
切り札(ジョーカー)を切るのは今ね……などとおキヌが呟いてるのは横島の耳には届いていないだろう。
「あ、そういえば私お弁当作ってきたんでした。忠夫さん、それよりもこっちを食べてください」
何とレストランのテーブルに自分の手作りのお弁当を広げるという荒業を繰り出した。
相手のフィールド―――アウェイで己の切り札を切る……相当の度胸と勝算がなくては出来る事ではない。
流れを読み、ここぞという判断。
【作戦は慎重に、行動は大胆に】という、正に戦術の教科書のような作戦だった。
三角形ではない俵型のおにぎりに鳥のから揚げ、ミニハンバーグに甘く仕上げた玉子焼き、タコさんウインナーに彩りは塩湯でしたブロッコリーにレタスとミニトマト。ウサギの形のリンゴがデザートとして添えられている。
手の込んだお弁当である。やや量が多めなのは二人で食べるためのピクニック用のお弁当だからだろうか。これに賭ける意気込みが窺える。
このお弁当の制作者が氷室おキヌである以上、見た目だけではなく味の方の保障も問題なしであろう。
切り札に相応しい。
まったくもって、羨ましい話である。
かわいい彼女がデートの時に手作りのお弁当を持参してくる……その日のお昼ご飯が楽しみでウキウキものであろう。
いわゆる赤い髪の幼馴染優等生よりも水色髪のスポ根マネージャーのほうが人気が高いのは、お弁当イベントがあるかないかというのが隠された理由としてあるということは、もはや公然の秘密ということである。
「さっ、遠慮しないで食べてください。今日は頑張って作っちゃいましたから」
などと、赤ら顔で言われた日には【どちらを】食べていいのか迷うことであるし、料理上手な恋人を持つ男のみが浸れる優越感とも言えるはず、いや、それ以外にはあるまい。
「横島さん? レストランに来ておいて料理を……私の料理を食べない気ですか?」
ここがレストランでなければだが。
おキヌの切り札を黙って喰らうような女性ではない。魔鈴めぐみという女性は。
私の料理という部分を強調して抵抗。
「も・ち・ろ・ん!! 恋人の手作りお弁当が優先ですよね?」
片やレストランに手作りのお弁当を持ち込み、更にはその場でそれを広げてピクニックの世界を演出しようとするツワモノ。
自分のほうが空腹のはずなのに、横島に先に自分の手作り弁当を食べてもらいたいという健気な心遣いが泣かせる。
マーキングというより餌付けに近いものがあるのかもしれないが。
流れを引き寄せて、一気に押し流すという疾風怒濤。
「心を込めて……横島さんのために作ったのに……私の料理食べてくれないんですか?」
片や敵に対して自分のテリトリーで兵糧攻めを行うという策士。
もはや隠し味ではなくなっている横島に対する想いを、これでもかというぐらいに練りこまれた料理はお金で買うことはできまい。
隠し味は隠し味として使うからこそ効果があることを知らないわけではないだろうが。
おキヌの切り札に対し、【年上女性が切なげに瞳を潤めてお願いする】という横島の性癖にあった切り札を同様に切る。
横島とおキヌが食事をしている……否、横島だけが食事をしているテーブルには、サービス満点のランチメニューの他におキヌの弁当が加わり、豪勢な昼食が並んでいた。
(ま、まずい……料理はうまいが状況がマズイ)
などと震える横島。
おそらく綱渡り……細いロープの上を横断している錯覚に陥っているだろう。落ちるのは論外、どちら進もうと待つのはゴールではない。
「お、おキヌちゃん、お弁当はとりあえず後にして、まずはこっちを暖かい内に食べない?」
妥当な意見だろう。
最初から冷めているお弁当と暖かい料理。どちらを先に食べるかどうかはそれほど悩む必要はない。
何しろ今いる場所はレストランである。
その横島の言葉を聞きグッと拳を小さく握り締める魔鈴。
流れを引き寄せた。
「っ!?………そうですか……忠夫さんのために作ったのに……後回しなんですね?……私への気持ちも」
横島から僅かに目を逸らして呟くおキヌ。聞こえるか聞こえないかの声量という部分に芸の細やかさを感じる。
さっきまでの気勢が嘘のような弱弱しいおキヌに横島も慌てる。
まあ「押してだめなら引いてみろ」という典型的な策なのだが。
結局このままの状態がディナーのラストオーダーの時間まで続き、その日は魔法料理【魔鈴】の売上高のワースト1だった事を追記しておこう。